act.28  向こうから見たこっち


 階段の下の廊下には、いくつもの砲身が等間隔に並んでいた。
 この船はやはり海賊船らしい。
 とても飾りとは思えない黒光りするそれらは、滑らかとは言いがたい巨大な鉄の塊で、今は沈黙を守っている。向けられた砲身の先の小窓が開けば、それが戦いの合図となるのだろう。
「すげ〜! ココロ、大砲だ!」
「たいほう?」
「弾詰めて敵に撃ち込むんだよ。本物初めて見た!」
 鼻息の荒い陸はココロにそう言って、前方で足を止めて振り向いている男を見た。
 男は大げさなほど体を揺らし、背中を小さく丸めて階段を下りて行く。
 言葉が通じない相手ではあるが力の差はよく理解しているようで、男は素直に陸を誘導するように前を進んでいる。
 何処に連れて行かれるかなどあまり気にも留めず、陸は能天気に辺りを見渡す。
 大きな船の内装はそのセンスの悪い外面そとづらからは想像できないほどまともだった。男ばかりが多いせいか掃除の手は行き届いていないが、戦いを重視されているその船は明り取りの窓が異様に少ないことに助けられ、船内の不潔さは良くも悪くも緩和されている。
 衛生上あまり宜しくないが、それでどうにかなるほどヤワな生活を送っていない陸は、すぐにその船の薄汚さに気を払わなくなった。
 陸の前を歩く男は、階段を下りきると再び振り向いた。
 外の光りを一切通さないそこは、おそらく船の最下層。ぎしぎしと不気味に響く音は、わずかに籠もっては消えていく。
 陸は階段を下りきると小首を傾げた。
 無造作に壁に立てかけられた武器は、呆れるほどに多い。それを男三人がかわるがわる磨いていた。
 青タンを顔に貼り付けているその三人には見覚えがある。
「なんだ、下っ端か」
 そりゃそうだと、陸は小さく続けた。
 森の中で戦った時、体格は悪くなかったのに異様に弱かった。船底で武器を磨いているような連中ならそれも頷ける。
 彼らはせっせと手を動かし、息を吹きかけながら灰色の布で槍を磨いていた。消耗品であるはずのそれは、可笑しなぐらいゴテゴテに飾りたてられている。
「センスないな〜」
 あまり人のことを言えた義理ではないが思わず陸はそう呟いた。その声が聞こえたものか、武器を磨いていた男の一人が不意に顔をあげ、そして陸を見て色を失う。
 顔が変形するぐらい腫れ上がった男は、磨いていた槍を投げ捨ててとっさに仲間の後ろに隠れた。
「捨てるかな、武器」
 微苦笑して陸はゆっくりと近付く。他の二人も顔をあげ、そして隠れた男に習うように顔色を変えた。
「よ! 元気そーじゃん!」
 今動けるなら、どうやら手加減は成功したらしい。なにせ家では暴れ馬並みの弟たちをなしている彼だ。相手にし切れないと投げ飛ばすは蹴倒すはで、じゃれているのか喧嘩をしているのかすらわからなくなる。
 弟たちも重装備で向かってくるものだから、陸もいつの間にかそれらの相手は慣れてしまっていた。
 弟たちと決定的に違ったのは、彼らには殺意があったという事。
 それだけで、手加減の仕方も変わってくる。
「やっぱ弟本気で殴れないしなぁ」
 しみじみと陸が呟いた。
 本気で喧嘩をしたら、弟たちの顔も原型を失っていた可能性が高い。そんな事態に陥らなくてよかったと、陸は真っ青になって固まる男たちを見詰めながらひそかに胸を撫で下ろした。
「でさ!」
 陸が声をかけると、男たちが飛び上がらんばかりの勢いで姿勢を正した。
「……まぁいいや。どーせ言っても通じないし〜適当にうろついてるから、お前ら勝手に仕事してて」
 年上なのは見ればわかるが、どうにも情けなくて敬語すら使う気にもなれず、陸はヒラヒラ手をふって辺りを見渡す。
 言葉すら通じない男たちは、それでも陸が争う気がないと理解したようで大げさに息を吐き出した。
「ココロ〜ここ何だろーな?」
 あっけらかんとした陸の問いに、ココロは小さく唸っている。
 船底であるそこは、奇妙な作りをしていた。
 広く拓けた空間には武器が、それ以外の部屋は妙にチマチマ扉が並んでいる。
 いざ戦いになった時にいちいち船底まで行っていては効率が悪いから、たぶんここは武器の収納庫としての役目があるのだろう。
 だがそれだけでないのはすぐに理解できた。
 男たちが座り込んでいる場所は、階段をおりたら即座に武器を手にする事ができるように、障害となる物が一切置かれていない。
 別の場所に保管されている武器が足りなくなるという事が頻発している可能性が高い。
 でなければ、わざわざこんな所にある武器を磨いたりしないだろうし――
「って、ちょっと待て。これから出稼ぎとか言うなよ?」
 真剣に武器を磨いている男たちが、なんだか嫌な予感を運んでくる。陸はその真意を確かめようとして口を開き、すぐにやめた。
 言葉が通じないのはどうにも勝手が悪い。
 趣向程度ならジェスチャーでなんとかなるだろうが、質問の内容が細かい場合はあまり効率のいい方法とは言えないだろう。
 陸はくるりと踵を返す。
 後方から物音がしたような気がしたのだ。
「……オッサン」
 薄暗い廊下が視界に入るはずが、その予想は大きく外れていた。
 そこには陸をここに案内した男が、長剣を振り上げた状態で止まっている。
 鬼気迫るその姿を睨みつけ、陸は大きく男に向かって前進した。
「その為にここに連れてきたわけ?」
 まさか向かってくるなどとは思わなかったのだろう。男は振り上げた剣を握りなおそうとして、柄を見事に取り落とした。
 ああ、と、背後から呻くような男たちの声が聞こえる。
「二度目があると思うなよ?」
 さらに一歩近付いて、陸はにっこり微笑んで前歯の欠けた男に囁いた。理解できない言葉から何を汲み取ったのか、男はそのまま腰が抜けたようにストンと尻餅をつく。
「ったく、中途半端なヤツ」
 彼をここへ連れてきたような猛者ばかりがいては身がもたないが、ここまで情けないと殴る気にもなれない。
 すっかり怯えてしがみつくココロをあやしながら、陸は妙な間隔で並ぶ扉へと歩き出した。
 後方で男たちの声が聞こえるが――まぁ、理解できないから放っておこう。
 歩み寄った木の扉には、小さな窓がついている。
 陸は一瞬目を見張った。
 ここよりさらに薄暗いその部屋には、わずかではあるが異臭が漂っている。ココロがさらに強く陸にしがみつく。
「……お前……ここにいたのか?」
 一瞬だけ考え、彼はそのドアを蹴り倒した。四人の男が騒いでいるが、すでに耳を貸す気もなく陸はその部屋に足を踏み入れる。
 暗い暗い闇の中で。
「……!」
 陸は息をのんで怯え続けるココロをきつく抱きしめる。
 そこにあったのは、かつて人であったモノ。人の形をし、そしてそうではなくなった肉の塊。
 腐臭はそこから漂っていた。
 その暴行のあとは直視するには惨すぎて、陸は顔を逸らしてそのまま廊下へ出て、次々とドアを蹴り開けていった。
 その大半にココロと同じような異形の者がいて、その総てはすでにただの肉の塊となって放置されていた。
 一番初めに見た子供が、きっと最初の犠牲者。
 扉に向かうようにして伸ばされた手は、結局何も掴むことなく力尽きたのだろう。遮断された小さな空間からは、きっと澱んだ物しか見えなかったに違いない。
 外に広がるのは刻々と姿を変える美しい世界だった。あの子供は、それさえ目の当たりにすることなく消えたのだ。
 そしてしがみついて震える少女も、同じ末路をたどる運命にあった子供だと、陸がおぼろげに理解する。
「オレ、こーゆーの許せないんだけど?」
 淡々とした口調が、逆に怒りの程を伝えるようだった。
 男たちは真っ青になって激しく首をふっている。
「コイツにも、酷い事しただろ?」
 怯え続けるココロをそっと抱きしめて、陸は男たちを睨みつけた。彼が語る意味を察したかのように、男たちは意味のわからない言葉で必死に言い訳をしている。
 陸が一歩進むと、男たちは座ったまま後方へとずりさがる。
 もう一歩踏み出したところで、船体が大きく揺れた。
「出港……?」
 ギシギシと音をたてる船体に陸が凛々しい眉を寄せる。
「……要、ここには……」
 ちらりと後方を見て、陸が続けた。
「いないよなぁ」
 空き部屋がいくつかあった。もし捕まっていたのなら、そこに押し込められているはずだろう。
 陸のように外見で勘違いされるとは思えないし、かといって、すぐに手懐けられてここから出たと言うのも、要の性格からして考えにくい。
 脱走は考えるだろうが、それならもっと船内がバタバタしていてもいいはずだ。
「う〜ん、どこで間違えたかな」
 そこまで言って、ふと甲冑の男たちを森の中で見かけたことを思い出した。森の中で見かけたのはこの四人の男たちと甲冑の集団。
 山道を堂々と歩いていた要が遭遇したのはこの男たちではなく甲冑の男たちだとしたら――
「ヤバい……」
 それなら、すぐにでも戻らなければいけない。
 でないと動き出した船内にいるのはあまりに意味がない。今ここを出れば、そう苦労もなく要が連れて行かれた場所まで辿り着けるかもしれない。
 何処にいるかの場所を正確に把握しているわけではないが、それでもまだここにいるよりは効率がいい。
 しかし、彼はそこから動こうとはしなかった。
「とりあえずさ、大将んトコ案内してくんない?」
 真っ青になった男たちに向かって、陸は低くそう囁いた。


←act.27  Top  act.29→