act.23  森


 リスティは散々床を埋め尽くしていた服を丁寧にたたみながら窓の外に目をやった。
 丸い小さな窓から見えるのは、途切れる気配もない木々の群れ。両性具有のメリーナと、キメラという品名で売られていたカーンを買い取った船着場の小さく不潔な町はとうの昔に姿を消している。
 今、眼下を多い尽くしているのはひたすら続く大森林である。
「次の停船までにはまだ時間がかかるようだ」
 船室のドアを開け、クラウスがつまらなそうに呟いて入ってきた。
「長いですね」
「……ここら辺はまだ未開だからな。速度が上げられるから次の船着場までは距離のわりに短時間で着くと船員が言っていた。どうせ暇な金持ちしか乗っていないから急ぐ必要はないらしい」
 溜め息と共にそう吐き出して、彼は見た目だけは派手な椅子に腰掛ける。ぎしぎし不快な音を立てる所をみると、それが見せ掛けだけの安物である事などすぐにわかるのだが、彼はそのまま窓を見詰めた。
「イリジアにいったん入ってからバルトという国に使者を出して探りを入れようと思ったんだが」
「はい」
「川が蛇行していて、どうやら先にバルトに着くらしい」
「そうですか。申し訳ありません、お役に立てるとばかり……」
 リスティはテーブルの上に放置されている封筒を見やり、小さく頭を下げた。
 リスティが持ってきた書状はイリジアの宰相宛だが、そこには何も書かれてはいない。もしこちらに優位なことが記されていればうまく立ち回れそうなものだが、白紙の書状を持ってイリジアに行った所で無駄足になるのは目に見えていた。
「いや。直接バルトに入ったほうが面倒がなくていいかもしれん。少し気になる事もある」
「クラウス様?」
 リスティが服をたたんでいた手を止める。
「そういえば、旅の目的は……」
「神探し」
 あっさりとクラウスはリスティに返す。
「神を……探す?」
「神狩りかもしれんが。……王都が動いているのであれば、捨て置くわけにもいかん。とんだ余興になったな」
「子供たちの戯言に耳を貸すのですか?」
 不満そうなリスティに、クラウスはゆっくりと視線を移す。
 漆黒の翼と猫科の動物のような鋭い瞳に発達した犬歯、そしてとがった耳を持つ少年――カーンは、王都ルーゼンベルグが神を降ろすための依代を作っていると語った。
 にわかに信じがたい話である。
 だが、クラウスはもともと神を捜すためにニュードルをあとにし、バルトに向かっていた。
 それは暇つぶしの旅だった。
 アルバ神とオデオ神が降りたとクラウスに伝えた老人は、さして信用するに値しない人物だが、その男の話す内容には興味を持った。
「……そういえばヤツは、元々王都の魔術師だったな」
 ふと思い当たって、クラウスは小さく呟く。
「ヤツ? 昨今の魔術師は力も衰え、祈祷するばかりと伺っております」
「今も昔も変わらん。太古の魔術師は天変を起こし魔物とも戦ったというが、それは御伽噺だ」
「文献は残っております。最後の魔王が死んで以来、魔族も滅びたと」
「神が消え、魔族が滅び、魔術師は力を失ったか」
「均衡が破れたという噂です。妖精や聖獣の類が姿を消し、魔獣のみが残るのは滅びの予兆だと……」
「くだらんな」
「神は信じておいでなのに?」
「信じてなどいない。捕まえられるなら捕まえる。それだけだ」
 そう答えたクラウスをリスティは静かに見詰める。多くの物を手にいれ何不自由なく暮らしてきたクラウスは、いつも刺激に飢えている。一部では野心家とも言われ、確かに色々なものを望む王子ではあるが、それも今の生活があってこその欲求だ。
 神探しもクラウスにとっては退屈しのぎの一環であるとリスティは判断した。
「陛下が心配しておいででした」
「何かあったら形見はお前が届けるのだろう。他に王子はいる。オレの事などさほど心に留めてなどいない」
 クラウスからは淡白な答えが返ってきた。
 リスティがどう答えるべきか悩んでいると、不意にドアが軽い音を立てる。
 返事を待たずに、ドアがわずかに開かれた。
「メリーナ?」
 隙間から室内を覗き見る両性具有の子供に、リスティが声をかける。両性具有といっても見た目は可憐な少女で、身につけているものもリスティの好みを反映した派手なドレスである。
 メリーナはドアの隙間にはさまれたようにもじもじと中の様子を伺っている。
「どうしました?」
 リスティの声に、メリーナは頬を染めた。そして、隠し持っていた本を控え目に差し出してくる。
「字の読み方を……教えてくれませんか?」
 控え目な声は、中性的ではあるが少女のような儚さがある。
 リスティはクラウスを見た。
「……教えてやれ。王宮で暮らすにせよお前が面倒をみるにせよ、読み書きはできたほうがいい。カーンにも本人が望むなら教えてやってくれ」
 そう返すと、リスティは微笑して頷いた。
 手元に残っているたたみ掛けの服を抱えるようにクラウスの目の前に運んで、
「ではクラウス様、あとはお願いします」
 一言残して服の小山を彼に預けた。
「…………」
 楽しそうに連れ立って部屋をあとにするリスティを見詰め、クラウスは服の小山を片手で押さえる。
「ニュードル第四王子に服をたたませるのはお前だけだぞ」
 呆れたように苦笑して、彼は高価な服を一枚摘みあげた。
 どうたたむべきかを考えているうちに、生地に目がいく。さすがに大枚が出してあるだけあって、なかなか上等の布地だ。
「闇市で買ったわりに上等だな」
 ほうほうと感心しながら一枚一枚丹念に製法から生地、装飾を見ていると、いつの間にか従者二人が目の前に立っていた。
「な……なにをして……」
 凹凸の激しい従者は何故か真っ青になっている。
「いい出来だ、この服。王宮のお抱えにしても通るぐらいだな」
 そう返すと、ひったくる様に服を奪われた。
「コレしまうんですよね!? 片付けるものですよね!?」
 何を考えているのか涙目で問いかけてくる。
「そのつもりだが」
 短く答えると、二人で服の小山を分けて持ち、そのまま脱兎のごとく部屋を出て行った。
 いったい何を考えたのか追究せず、クラウスはドアに向けた視線を丸く小さな窓へと移動させる。
 すでにバルトの領土内に入っていると船員は言った。
 広大な土地はほとんど未開拓と言っていい。近隣諸国がバルトにその土地を所有するのを許したのは、そこがあまりに手付かずの場所でどうにも利用価値を見出せなかったからだという話だった。
 窓の外を埋め尽くしているのは、おそらく魔獣も生息しているに違いないというほどのあまりに深い森。
 土地があるだけで国王すら病床で喘いでいるという、本当に何もないようなその国に神が降りたという。
「狩るのはオデオ神。破壊と創造を司る、双神の片割れ」
 そして、おそらくは。
「神話の時代の神≠呼んだのは王都か? 奴らも双神の内どちらかを――あるいは二人を、狙っているという事か」
 ポツリとニュードルの第四王子はそう呟いた。


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