act.19  方程式


 要はわずかに置かれている調度品を物色し始めた。
 引き出しを総て開けてみる。棚を探り、5分で自分がいかに無駄なことをしているのかに気付いて立ち上がった。
「……」
 引き出しは総てカラだった。棚も嫌味なぐらい掃除の手が行き届いており、ホコリさえ指につかなかった。
 この場合、残る手段は一つだ。
 仮病を使い大声を出して人を呼び、脅して鍵を手に入れる。
 要は首輪に手をやった。鍵穴を探し、それが鎖のつながれている場所のすぐわきにあること確認する。
 床にうずくまり助けを呼ぼうと大きく息を吸い込み、そこで要はぴたりと動きを止めた。
「……なんか、惨めになってきた……」
 こういうことを喜んでやるのは陸だ。大海家がケンカの絶えない一家なのは、あのケンカ好きで血の気の多い長兄がいるせいでもある。
「オレ、なんでこんな事やってるんだろ……」
 項垂れながら、要が立ち上がった。他の方法を考えようと思ったのである。
 その時、前触れもなくドアがノックされた。要がつられてそちらに視線を向けると、濃紺のメイド服に白いエプロンをつけ栗色の髪を三つ編みにした、生真面目そうな丸メガネの少女が大量の食事をのせたトレイを片手にドアを開けていた。
 腕が激しく震え、トレイの上の食器がカチャカチャ音をたてる。
 少女が何かを言った。
 たぶん、食事を持ってきたと伝えたのだろう。後ろ手でドアを閉め、よろよろと前進して、鎖を踏みつけ、バランスを崩した。
「あ、危な……!」
 とっさに手が出た。
 倒れかけた少女の華奢な体を支えると、トレイの上の食事が食器ごと雪崩を起こした。
 派手な音が室内に響く。食事はものの見事に床をキャンバスに奇妙な絵を完成させていた。
 メイド服の少女はトレイを両手で持ち、要に支えられたままの格好で呆然と床を見詰めている。
 あまりの異常事態に食欲すら湧いてこない要は、内心呆れながらも少女を支えていた手を離そうとして――冷たく固い感触に、動きを止めた。
 視線を動かすと、少女の細い腰には鍵束がついていた。
 床を見詰め続ける少女の腰から手をどけるついでにそっと鍵束をはずす。
 メイド少女はあまりのショックにまだ正気に戻れないのか、支えをなくして床にぺたりと座り込んだ。
 要は少女の真後ろに回り、音をたてないように鍵束から一本の鍵を選ぶ。
 要の顔がわずかに引きつった。
 それはどの鍵よりも細く小さく、優美な鍵だった。鍵には首輪と同じ宝石が埋め込まれている。誰がどう見ても間違いようがないだろう。
 要はそれを先ほど確認した鍵穴に差し込み、ひねった。わずかな音とともに自由になった首をさすり、手にした首輪を持って体をかがめる。
「ゴメン、ちょっと窮屈だけど」
 囁いて、彼は少女の首に枷をつけた。
 はっとして少女が顔をあげる。何かを言いかけたその小さな唇に、要はそっと人差し指を押し当てた。
「声は出さないで」
 真剣な表情で言うと、言葉の通じない少女は要を見詰めたまま頬を染めた。
 ――どうやら、色仕掛けは通用するらしい。
 この容姿に感謝するべきなのだろうが、ひどく複雑な心境で要は眉を寄せる。それがまたよかったのか、少女は魂が抜けたかのような顔で要を見詰めていた。
 ひとまず自由になった。要は少女がドアに鍵をかけていなかったことを思い出し、そっと外の様子をうかがうためにドアの隙間から顔を突き出した。
 広い廊下には人はいないようだ。
「行けるな」
 小さくつぶやき、要は惚けている少女を振り返る。
 潤んだ瞳で見詰めてくる彼女の両手は胸の前でしっかり組まれていた。叫んでどうこうする気はないらしい。
 要は廊下に出ると、階段を探しはじめる。ここは城の三階だが、今までいた日本家屋と同じというわけにはいかなかった。総ての階の天井が、あきらかに高い位置にある。住めばさぞ開放感があって落ち着けるだろうが、窓から逃げ出すにはかなりの覚悟がいる。
 それなら階段をおり、出口を探したほうが賢明だ。
 城は異様なほど広い。時々歩いてくる人間を難なくやり過ごせるほど、この城は無駄なスペースが多かった。
 ただ、隠れるには最適でも、目的の場所を探すのはそう容易ではない。
 散々走り回り、要はようやく階段を発見する。
「な、なんなんだ、この城……!」
 迷路でも作りたいのかと本気で思ってしまう。歩き慣れた者ならいざ知らず、要のような人間にはこの上なく迷惑な建物だ。
 それでも、立ち止まるわけにはいかない。要はうろうろ迷いながら走り回り、人の声に立ち止まる。
 彼は慌ててわきにある通路に隠れた。
 人の声が大きくなる。
 明らかにこちらに近づいてきている。要はやむなく赤い絨毯が敷き詰められた、なんとも趣味の悪い薄暗い通路の奥へと突き進んだ。
 細長い通路は、見事な彫刻の彫られた、木製の黒光りする真新しいドアへと続いていた。
「い――行きどまり……」
 これはマズイ。
 非常に、マズイ。
 廊下は薄暗いとはいえ直線だ。声の主が辿りつけば、いやでも視界に入ってしまう。
 要は意を決してドアを開けた。
 そこは、薄暗い廊下よりもさらに暗く、澱んだ空気で満たされていた。
 要がつながれた部屋も調度品の少ない部屋だったが、この部屋のこの広さを考えると、そこに置かれている調度品の少なさは、あまりに不自然だった。
 部屋の中央には、天蓋付きのベッドがある。
 そのわきに小さなテーブルと、それにあわせた椅子が一脚。
 驚くほど広いその部屋には、それ以外何もない。何一つ。
「誰か……いるのか……?」
 息をのんで、要は小さく問いかけた。ヒューヒューといやな音がベッドから定期的に聞こえてくる。
 誰かがいる。
 そしてその誰かは、たぶん重病人だ。
 要はとっさにベッドに駆け寄った。
 暗幕のような布をあけると、その腕を燃えるように熱い手が掴んできた。
 一瞬、視界が大きく揺れた。
 ベッドに沈んでいたのは、死の淵を彷徨っているのだろう痩せた男だった。げっそりとこけた頬が熱のために真っ赤に染まり、焦点を失った虚ろな目が細く開かれている。
「これは……なんだ? 感染症……?」
 この手の熱さからも判断できる。かなりの高熱、微かに震えているのはおそらく悪寒のため。漂う異臭は嘔吐したからだろう。
「黄疸はない」
 虚ろな目は光を失ってはいるが濁ってはいない。
「考えられるなら、食中毒、インフルエンザか? まさか天然痘やエボラじゃないだろうな」
 発病してどれだけたっているかはわからないが、早期とは思えない。それなら発疹などの目に見える症状が出ているはずだ。
 そこまで考えて、要は軽く首をふる。
 最近世の中もずいぶん物騒になったから色々調べて知識はあるが、それは素人の浅知恵程度のものだ。ペストや風疹だって、どんな経緯で感染してどう発病するかもしっかりと記憶しているわけではない。
 ただ、なにがかおかしい。それだけはわかる。
「医者はどうしていないんだ? 飛沫ひまつや接触感染を避けているわけでも――」
 そこまで言って、息をのんだ。男の腕に赤黒い発疹がある。
 なんだろう、これは。この症状は。
 部屋着で隠された男の腕をめくると、そこから奥はすべて赤黒く染まっていた。
「――そう、だよな。オレの知識が役に立つはずない……ここは、地球じゃない」
 視界が再び揺れる。
 ぐるりと世界が反転したかのような不快な眩暈が彼を襲った。
 病床から腕を掴まれたまま、要はその場に座りこんだ。気持ちが悪い。いくらいま感染したといっても、これほど急激に症状が出るはずがない。
 これは、何か別の原因がある。
「なにが――」
 片手で口元を押さえてきつく目をつぶり、要は吐き気をこらえた。耳元に心臓が来たのかと思うほど、己の心音が鼓膜を激しく震わせた。
 要は何度か大きく息を吸う。
「驚いたな……」
 眩暈と吐き気が去る瞬間、頭上からかすれたような男の声が聞こえた。
「……其方は、誰だ?」
 視線をあげると、要の腕を掴んでいた男が顔を覗かせていた。その瞳は熱に浮かされていた時のものとは全く違い、強い光を宿している。
 ほんのわずかの内に、この男に何がおきたというのか。
 さっきまで確かに死の淵を彷徨っていたはずの男――それが、いまは体を起こして要の顔を覗きこんでいる。げっそりと削げ落ちた頬と、長く手入れされていなかっただろう髪や髭は伸び放題そのままなのに、その印象は大きく変わっていた。
「どう……して?」
 茫然と問いかけた要に、男は笑った。
「どうやらバルトに、オデオ神が降臨されたようだ」
「……オデオ……?」
 わからない、何を言っているのか。
 いや――
 言葉はわかる。わからないのは、その内容だ。
「どうして、言葉が……?」
「無自覚か……いや、そうでなくてはならんのかもしれん」
 痩身の男は瞳を細める。
「天の啓示に感謝せねばな。オデオ神がおりたのなら、アルバ神もおりたのであろう。これはもとより運命だったのだよ」
「何を……言ってるんだ?」
 穏やかな瞳の男は、じっと要を見詰めてくる。
 要は混乱したまま男を見詰め返し、口をつぐんだ。
 もしかしたら、誰かと間違えているのかもしれない。
 間違えているのなら、これは――利用、できるのではないのか。その神とやらに成りすませば、少なくともあの気の強そうな王女のペットという屈辱的な立場からは解放される。
 うまく機を見て城から抜け出せば、万事解決だ。
 自由を手にするための方程式は、意外なところに落ちていたらしい。この男の勘違いを逆手にとれば、未来がひらけるのではないのか。
「オレが神だったら、あんたはオレに従うのか?」
 そして彼は、一世一代の大博打を打つために不敵に笑ってみせた。


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