act.17  もういない?


 豪華客船クイーン・ロザンナ号は物資補給のため船着場に停留した。
 フロリアム大陸の川は対岸が見えないほど広いものが多い。リスティ・カルバトスは青ざめたままゆっくりと船をおりた。
「リスティ様!」
 彼女の後ろからは身長180センチの大女がついてきている。
 並の男よりはるかに腕が立つから同伴させることを決意したものの、まさか彼女だけがこの旅の間のボディガードとなるなど思いもしなかったリスティは、ちらりと大女に視線をやり、すぐに運河へと顔を向けた。
「レイラ、悪いけど一人でいたいんです」
「でも……」
 外見とは裏腹に、大女――レイラの声は細く美しかった。その声は嫌いではないが、この外見とセットとなると、とても好みとは言いがたい。
「少し風にあたってきます。クラウス王子にもそのようにお伝えしてください」
 心配そうに見詰めるボディガードの視線から逃げるように、リスティは賑わいを見せる通りに向かって歩き出した。
 物資を補給するために停留した川沿いのこの町は、小さくて息苦しい場所だった。大樽をはさんでカード片手に賭博に興じる者、よってくる虫を払いながら、新鮮なのかも疑わしい肉を叩き売る店主、路地裏から白い手を突き出して男を誘う女。
 汚らしい町。
 雑多なものにあふれ、己を見失った哀れな町。
 リスティは店と人であふれる狭い通りを目的もなくただ歩いていた。男たちが不思議な物を見るように自分に視線を向けることも、女たちが面白そうに囁きあうことも、別段気にするほど珍しくはなかった。
 人とは違う格好をしているのだ。
 昔から、自分が他の人と少し違うと気付いたときから。
 ずっと、今まで。
「……」
 奇妙な気配を感じてリスティは顔を上げる。ざわめく通りを注意深く見渡すと、何人かと視線があった。しかし、どれも気にやむほどではない。
 引っかかるのは何かもっと別の気配。リスティはなおも人ごみを見渡した。
 狭く入り組んだ路地から黒い影が一つ、まっすぐこちらを見ていた。リスティは通り過ぎた視線を慌てて戻す。
 しかし、その人影は一瞬で消えた。
「……いない?」
 リスティは少し目を細める。
 路地裏の闇は、どの国でも等しく澱んでいる。それは安全な場所からは決してのぞくことのできない深淵だ。
 リスティは気配の追究をあきらめ、再び歩き出した。
 すぐにごみごみとした通りがひらける。
 大きくはないが、広場がある。だがそこは、今まで歩いてきた通りよりもさらに息苦しかった。狭い通路から人々が押し寄せ、広場の中央へと向かっているのだ。
 広場の中央には、木製の舞台がある。舞台といっても、ただ並み居る人々よりも少し高い位置にあるだけというような、仮設のようなお粗末なものだった。
 舞台の上には男が一人いる。不恰好な帽子をかぶった背の高い男は、隣にある暗幕をかけられた長方形のものをポンポン叩いた。
「よく集まってくれたな、野郎ども!!」
 恐ろしくよく通る声で呼びかけ、男は暗幕のはしを握った。
「本日一番の掘り出し物! 妻によし! 鑑賞によし! 奴隷によしの三拍子! 両性具有の大目玉商品! そして、王都ルーゼンベルグの魔術の結晶、キメラの登場だ!!」
 割れんばかりの歓声が広場を満たす。取り払われた暗幕の奥には牢があり、そこには小さな二つの影があった。
 一人は可憐な少女。長い黒髪を花で飾りたて、肌の露出の激しい服を着させられている幼い娘だ。
 そしてもう一人はとがった耳に鋭い牙を持ち、その背に小さな灰色の翼を持つ少年。
 有翼人種ははるか昔に絶滅したと聞いたことがある。あそこにいるのは、人の手によって生み出された異形の生き物。
 キメラと呼ばれる人ではない物。
「――むごい事を……」
 もてあそばれる為に生まれた命がそこにある。リスティは次々とあがる手を呆然と見詰めた。
「よぉ姉ちゃん、あんたもお買い物かい? キメラ目当てか?」
 ひょいっと隣の男が顔をリスティに向ける。ゆがめた表情に残忍な色が浮かぶ。
「いいえ」
「……へぇ……こりゃまた、えらくベッピンな――」
 節くれだった手がぬっと伸びてきた。驚いて一歩さがると、その背が何かにぶつかって止まった。肩に手が添えられる。
「汚い手で触れるな」
 侮蔑を込めた声が上から聞こえた。
「なんだと!?」
「何度も言わせるな。頭が悪いのか?」
 低い声は、独特の貫禄をもって男を威圧する。男は一瞬その空気に飲まれたように言葉を失っていた。
 リスティは自分を支える男を見上げた。
 人々からは散々な言われようをされるニュードルの第四王子が高圧的な態度を取るのは、それ相応の意味がある。普段はただの口うるさい小姑だが、警戒を有する必要のある者、敵対する者には一切の手加減をしない男だ。
「クラウス様……」
「ボディガードはそばに置け。何のために連れて歩いている」
「……はい」
 慌てふためいて近づいてくるレイラを見て、リスティは小さく頷いた。
「男、体力が余っているのならあの女が相手をする。剣の腕は騎士クラスだ、不服はなかろう」
 大振りの剣を持った大女を見て、男は喉の奥で奇妙な声をあげ、逃げるように人ごみの中へ消えていった。
 それと入れ替わるように、レイラがリスティのもとに駆け寄る。
「リ、リスティ様!」
「……ごめんなさい」
「い、いえ、お怪我は!?」
「大丈夫です、何もありませんでした」
 ホッと大女が胸をなでおろしている。
「……あれが気になるのだろう」
 クラウスは舞台上の牢を顎でさす。困ったように言葉を濁すリスティを見詰め、彼はそのまま人を掻き分けるようにして舞台へと歩いていった。
 次々と手を上げる男たち。
 そのたびに釣りあがる金額。珍しい商品に、広場に集まってきた人間はいつになく興奮している。
 その中で唯一、静かに手を上げる男がいた。
「――50倍」
 舞台の真ん前で、低い声で表情一つ変えずにさらりとそう言い切ったのは、ニュードルの第四王子クラウス・ヴァルマーである。
 舞台にいる男は、一瞬何を言われたのかわからず静かに片手をあげる派手な男を見た。
「ご――50倍?」
「今あがった最高額の、50倍」
 舞台の上の男が、唖然とした。
「……足りんか。では、100倍」
 大陸一の巨万の富を誇るニュードルの第四王子は、若干金銭感覚の狂った男だった。
 むろん、支払いは父に一任されている。


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