act.14  白紙


 よくわからない乱雑な模様が掘り込まれた広いテーブルの上には、趣味の悪い皿が乗っていた。神獣をイメージしたらしいその生き物は、釣りあがった目に大きく裂けた口と、純白の羽を持った異形の獣である。
「……む。なかなかの一品」
 どうやら、クラウス王子のメガネにかなったらしい。
 ――やっぱりただの悪趣味王子か……。
 皿に乗った料理をまるまる他の器に移動させ、王子は小さく唸り声をあげている。
「あれ、いいものなのか?」
 隣の髭面小男に、ひょろ長男は耳打ちする。
「オレに聞くんじゃねぇよ」
 ありゃどう見たって、悪趣味の一言に尽きる。
 鮮やかな緑色の縁取りの皿。描かれているのは、真っ赤な顔の人面獣だ。御伽噺おとぎばなしにだって、あんな醜い生き物は出てこない。
 食事そっちのけで絵皿鑑賞に没頭する王子を尻目に、トムとジョニーは次々と皿をけていった。このおかしな王子に付き合っていたら、一生の大半を無駄にしかねない。
 二人の従者は品の欠片もなく、食事をかき込む。
 場所はクイーン・ロザンナ号の一等旅客室である。とは言え、どこもかしこもおかしなセンスで一まとめにされているため、ここが本当に一等旅客室なのかははなはだ疑わしい限りだ。
 料理が半分ほど片付いたとき、軽いノックの音が響いた。
「失礼します」
 そう言ってドアを開けたのは、顔面蒼白のリスティである。
「さきほどはお見苦しいところをお見せしました」
 まだ若干の混乱があるらしい。珍しくどもりながらそう言うと、白いハンカチを口元に当てる。
 リスティはボディガードがいかつい大女一人と知った瞬間、悲鳴をあげながら可憐に気絶した。
 悲鳴をあげられた大女の立場はどうなるのだ。
 カルバトス候は、この少年を甘やかしすぎたのではないか――
 いやそれ以前に、男が悲鳴をあげながら気絶するのはありなのか。
 さまざまなツッコミを心の中にしまい、トムとジョニーはリスティをベッドに運んだ。長い物にはとりあえず巻かれてみるのが、この二人の長所であり短所である。
「もういいのか?」
 クラウスの問いに、リスティは頷いてみせた。
「はい、ご心配おかけしまして」
 精神的ショックで倒れたのだから、しかも内容が内容なだけに誰も心配はしていなかったのだが、ここは無難に聞き流す。
「次の港でお前は降りろ。ボディガードなしでは旅も続かん」
「いいえ!」
 リスティは可憐に首をふる。外見と性別がちぐはぐなのが惜しいほどだ。
「わたしは国王とお約束しました!! 必ず貴方の髪と目をお持ちすると!!」
「……」
 リスティの中では、すでに死亡前提で旅程が組まれているらしい。
 できれば五体満足で連れ帰って欲しいむねの国王の言葉は、とうの昔に記憶から飛んでしまっているようだ。
「バルトは興ったばかりの小国と聞きます! またとないチャンスです!!」
 頬を紅潮させて、恐ろしいことをさらりと言う。
「ぜひご同行を!」
 顔面に死神を貼り付かせてて、リスティが懇願している。
 恐ろしい少年だ。
 ものすごく真剣に、人の不幸を願うタイプだ。そして、平気で当人に告白している。悪気はないようだが、ここまでくれば善意も悪意もたいして違わない。
「……そうまで言うなら、かまわんが」
 主人の言葉に、従者二人は言葉もなく石化した。
 頼むほうも頼むほうだが、受けるほうも受けるほうだ。凡人にはついていけない。きっとこれは高貴な人間同士のみが交わす会話に違いない。
 そう思わなければ、今まで信じてきた常識がはかなく消えていきそうだった。
「ありがとうございます」
 花がほころぶように、少年が笑う。
「そう言っていただけると思い、書状を拝借してきました」
「書状?」
「はい。バルトの隣国、イリジアの宰相宛です」
 淡いクリーム色の封筒には確かにイリジアの宰相、クエル・チュチュリアーダの名が記されている。イリジア自体はニュードルの足元にも及ばない小国だが、その宰相のイカれた名前は聞いたことがある。きっと名前同様、かなりの奇人に違いない――クラウスは自分のことを棚にあげ、そう確信していた。
 封筒の裏を返すと、封蝋ふうろうされていた。真赤な蝋に浮き上がっているのはカルバトス家の家紋、双頭の蛇である。どうやらリスティの父、アントニオ直々の書状らしい。
 クラウスはリスティを見た。キラキラ輝く目が、開けてくれと言わんばかりに見詰めてくる。
 クラウスは無言で開封し、中の紙を広げる。
「……」
 表情の一切を出さず、彼は紙を上から下まで、舐めるように見た。
「……」
「で、なんと!?」
「……リスティ、これはお前が勝手に持ってきたものか?」
「置き手紙はしました!」
 つまり、それは勝手に持ってきたということだろう。悪びれもせず言うリスティに、従者二人は心の中だけで小さく突っ込みを入れている。
「……紙はいい」
 そう呟いて、クラウスは手紙をリスティに見せた。
 流麗な文章を想像していたリスティは、口をぽかんと開ける。
 向けられた手紙は、異様に白い。
 それはもう、どう見たって手紙とは言えないぐらい、折り目だけがしっかり残る真っ白な紙だった。
「白紙だ」
 手紙をヒラヒラふりながら、クラウスはリスティを見る。
「だが、紙はいい。クワンナ製の上質な木から作られてるな。この色からして、おそらくは……」
 クラウスのうんちくの途中で、リスティは顔を引きつらせて昏倒した。
「……いい紙なのに」
 不服そうなクラウス王子を横目に、従者二人はそそくさとリスティを抱えて部屋を出た。本日二度目の肉体労働である。
「なぁなぁ、こんなにひょいひょい気絶できるもんなのか?」
「オレが聞きてぇよ」
 ぐったりと青ざめる少年を見ながら、トムとジョニーは深く溜め息をついた。
「これ、川に捨てたら怒られるかなぁ」
「平気だろうよ」
 多少人道に反するが。
 そう気付き、トムとジョニーは顔を見合わせ、再び溜め息をついた。
 彼らの苦難は始まったばかりである。


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