act.13  コンタクトレンズ


 甲冑を着た屈強な男たちがしきりに白銀の髪の少女に何かを訴えかけている。
 少女はそれを軽く聞き流し、右手をあげた。
 ちらりと真紅の瞳で男たちを見やり、口を開く。むろん、何を言っているのか要には理解不能だ。
 少女は再び要に視線を戻した。
「お前、名は?」
 もう一度澄んだ声で少女が問いかけてくる。
「――暮坂要」
 そう答えると、少女がにっと笑った。すぐさま男たちに向き直り、階段を指差して矢継ぎ早に指示を出す。
 階段付近にいた甲冑の男が慌てたように階段を駆け上がり、初老の男を連れてきた。
「ほぉほぉ、通じましたか。これは珍しい。日本人は40年ぶりですなぁ」
 のそのそ階段をおりてくるのは、思わずしゃがんで話しかけたくなるような男である。しゃんと背筋を伸ばしていても妙に小さい。小さな顔には不釣合いなほど大きな目をしばたたかせ、彼は要を見詰めている。鼻は低く、口は小さい。青みがかってごわごわと硬そうな皮膚は、すでに人間というより爬虫類に近いかもしれない。
「――日本語……?」
「えぇそうですとも。お名前は?」
「く、暮坂、要」
「わたしはベイズリーと申します。こちらはラビアン・ルナ・ステンデューイ。バルト国の皇女です」
 ベイズリーと名乗った奇怪な面容めんようの男は、腕を組んだまま要を見据える少女を紹介した。
「バルト……?」
 聞いたこともない名だ。それに、切り立った崖の上から見た限りでは、とても国という雰囲気ではなかった。
「ここは貴方がたが言うところの、異世界ですよ」
 ベイズリーは率直にそう述べる。要が理解しているかしていないかは、彼にとって大きな問題ではないのだろう。
 要は一瞬息をとめた。
 どこか納得している自分がいる。
 通学途中の陸橋から転落――
 それがどういうわけか朝焼けの見事な切り立った崖の上に落ち=A情報収集に町に向かう途中でアルビノの少年≠ノ出会い、甲冑の男たちに連行された。
 そしていま自分がいるのは建設中の巨大な城の地下牢。目の前には、どうやったって剥がれそうもない特殊メイクの男がいる。
 これがまだ日本国内だといわれたら、むしろそちらのほうが疑問だろう。
 携帯の画面は、予兆だったのかもしれない。
 地球外と表示されたその画面の待ち受けには、すでに完成した未来のバルト城が写されていた。
「ここから出してくれないか?」
 要は小さな男に近寄る。高価そうな服とその面容は、どこかミスマッチだった。
「隣国の間者かもしれませんのでな。出して差し上げるわけにはいきませぬ」
「……友達が、いるんだ」
 ベイズリーの眉がわずかに上がる。
「ここに来たのはオレ一人じゃない。そいつ見つけて、もとの場所に帰らなきゃいけない」
 要が言うと、ベイズリーは考えるように黙り込む。
 その彼に、少女――ラビアンが声をかける。美しいがどこか刺々しい声音だ。内容まではわからないが、その雰囲気はとても穏やかな話し合いではない。
 ベイズリーはラビアンに必死の形相で訴えかけるが、幼さを残した皇女は言いたいことだけを一方的にまくしたて、さっさと階段に向かった。
 小さな男は溜め息をつきながら、要にはさっぱり意味のわからない言葉で甲冑の男たちに命令をくだす。
 男の一人がためらいがちに鍵の束を持って要に近づいてきた。
「言っておきますが、自由にするわけではありません」
 ベイズリーは渋面で言葉を続ける。
「ラビアン様が、貴方をお気に召したようです」
「え?」
「鎖につないで部屋に飾ると」
「……」
 要が大きく目を見開く。返す言葉もない。呆れたように瞬きした瞬間、要はしまったと、心の中で舌打ちした。
 瞼で何かをはじいた。すっと眼球に空気が触れる。
「ストップ――!!」
 こんな所で落としたら、買い換えるなんて不可能だ。ケア用品なんてもちろん常備してはいないが、清水でキレイに洗って騙しながら使おうかと本気で考えていた。なにせ要は目が悪い。裸眼で生活できるほどの視力はない。
 要はとっさに落としたコンタクトレンズを探す。怪訝そうに顔を見合わせる甲冑の男のことなど見て見ぬふりだ。
 コンタクトの外れた右目を閉じ、彼は左目で薄暗い牢屋の床に視線を走らせる。
 ――あった。
 小さく光を反射するハードコンタクトに手を伸ばしかけた瞬間、鉄の塊が派手な音をたてて要の視界をさえぎった。
「…………オレ、もしかしてこれからずっと裸眼?」
 言葉の通じない異世界の人間に踏みつぶされ、コンタクトはすっかり原型を失っていた。
 キラキラ光る床を見詰め、要はがっくり項垂れる。
「メガネにしときゃよかった」
 いまさらそんなことを言っても遅いのだが、黒ぶちメガネだってかっこいいのはいくらでもある。メガネをしていると陸がからかうから、要はいつしかコンタクト愛用者になっていたのだ。
「陸〜全部お前のせいだ〜ッ」
 要の中で、幼なじみはすっかり悪者になっていた。


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