act.12  音楽


「面倒なことになったな……」
 要は溜め息をついて座り込む。普段なら床に座るということは決してしないのだが、この状況がすでにどう考えても普通ではなかった。
 目の前には鉄の棒が等間隔に並んでいる。
 薄暗い室内が、松明の明かりでゆらゆら揺れた。石の床に石の壁、石の天井――そして、強固な鉄柵。
 要は石の壁に触れた。
 これが正方形に切られた石なら、厚みは80センチを超えている。素手でどうにかできるものではない。所々削られているのは、自分と同じようにここに閉じ込められた人間が、脱出を試みて無駄な努力をしたためだろう。
 鉄の柵は直径2センチ。こちらも壁同様、削られたりへこんだりしているが嫌味なほど頑丈そうだった。
 檻のドアは南京錠なんきんじょうがかかっている。鍵は先刻、男が持っていった。
「自分が地下牢に入るとは思わなかった」
 パニックを起こす間もなかった。
 向けられた剣、響く怒声――自分にとって彼らが不審者であるように、彼らにとっても自分という人間は未知の存在だったのだ。
 捕まって牢に閉じ込められるだけなら、まだ良心的というべきである。
「――陸、無事かな……」
 突っ走っていってしまう幼なじみを思い出し、要が小さく呟いた。ここに運ばれてくる間、何度か体に小さな痛みを感じた。
 多分、あっちも何かのトラブルに巻き込まれたのだろう。
 離れるべきではなかった。
 少なくともここがどこであるかを知り、互いの連絡手段を確保するまでは、絶対に別々に行動してはならなかった。
「陸……」
 あの、能天気な猪突猛進男ちょとつもうしんオトコ
 人の気も知らないで、やりたいことばかりやって、結局いつも後始末は要が担当していた。
「次に会ったらコロス」
 真っ黒なオーラが見えそうな声音で、美少年が囁いた。その身を案じるのもバカらしい。きっとあの男は、身にふりかかる火の粉をさっさと払ってまだ森の中を呑気に彷徨っているに違いない。
 幼なじみが城の地下牢に閉じ込められているとも知らずに。
「だいたい、ここに来た原因だって、あいつが作ったんじゃないのか?」
 陸橋をダイブした瞬間から――いや、元をただせば要の自転車を破壊したときから、この不運は始まっていたのだ。
「次に会ったら袋叩き。重石おもしつけて日本海までドライブ決定」
 低く囁くと、不意に音楽が聞こえてきた。城で演奏されるにはどことなく違和感を覚える、穏やかなメロディー。たぶん、演奏に使われている楽器は、そんなに多くはないだろう。民謡を連想させる耳に残りやすい曲だ。
 それがわずかに大きくなる。
 要が視線を上へ――階段に向けた。
 開け放たれた地下牢へと続くドアには、目を見張るほど見事な白髪の少女が一人。彼女は薄紫のドレスの裾をわずかに持ち上げ、石の階段をおりて来た。
 彼女の後方から甲冑の兵士が慌てたようについてくる。盛んに何かを訴えかけているが、少女はそんな男たちに耳を貸そうともせず、じっと要を睨みすえるように歩いてきた。
 流れる音楽がわずかにテンポを変える。まるで彼女の登場をたたえるように、それは優雅にあたりを包み込んだ。
 無意識に要が立ち上がる。
 少女は要の前に来ると真紅の瞳を細めた。
 けがれを知らぬような透き通る肌。不自然なほど白い髪。そして、血のように赤い瞳。
 アルビノの人間がそんなに多くいるとは思えない。それならば、この目の前にいる気の強そうな少女は、森の中で一番初めに出会った、あのラビと呼ばれた少年≠ノ違いない。
 要をここへ運ばせた人間。傲慢とも映るあの堂々とした立ち振る舞いは、彼女の立場からしてみれば、至極当たり前だったというわけだ。
「王女様……」
 唖然として、要は呟いた。
 建設中の城は、彼女のテリトリーだ。
 少女は淡く色づく唇を歪めるようにして笑った。そして、その唇がゆっくり開く。
「お前、名は?」
 少女はそう、要に問いかけた。


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