act.11 答え


 陸はすっかり地面と仲良くなった男たちに視線を向ける。
「なんだ、格好だけか」
 剣での威嚇はかなり迫力があったのに、その腕はお粗末としか言いようがなかった。まぁ、陸が喧嘩慣れしているというのもある。
 なにせいつも相手にしている弟たちは、木刀、ナックル、エアガンは通常装備しているような暴れ者だ。ひどい時にはボーガンや真剣まで持ち出す。喧嘩は素手と決めている陸は、弟たち相手にいつも大立ち回りを演じていた。
 その成果がここに来て発揮されたといってもいい。
「よぉガキンチョ。無事か?」
 体を守るために小さく丸まった子供は、陸の声に驚いたように飛び起きて、素早く大木の後ろに隠れた。
「……ま、無事ならいいけど」
 薄汚れた布切れを着た子供は、小刻みに震えながら木の影からじっと陸を見ている。ボサボサの髪は四方に散っている。その黒髪からのぞくのは、ずいぶんとがった耳。
 おびえたような黒瞳はどこか鋭く、口の両端には小さな白い歯が見えた。
「――仮装大会実施中?」
 ここでもか。
 と、陸はおかしな発想のもと、一人納得した。あの甲冑の兵士たちといい、そこに伸びている盗賊風の男たちといい、木に隠れている見るからに吸血鬼風の子供といい、どこか現実離れしている。
「っかしいなぁ、そんなイベントあったかなぁ……」
 微かに首をひねりながら、陸は来た道を戻り始める。要のところに帰らないとまずいということは、ちゃんと頭の中に入っていたらしい。
 そんなに気の短いほうではないが、かといって長いわけでもない。色々弱みを握られているし、さっさと帰って謝ったほうが身のためだ。
「ケンカしたのばれるとヤバいしな〜」
 今回は多少の切り傷程度ですんでいる。これならなんとか言い逃れもできるだろう。
 陸は自分の腕を見た。今のところ一番大きなケガといえば、珍しく要が手当てしてくれた腕の傷ぐらいのものだ。
「……?」
 陸は腕を凝視する。
 あれだけ派手に動いたのだ、ハンカチが血で染まっていてもおかしくはない。
 しかし、ハンカチについている血のシミは先刻とまったくかわってはいなかった。陸にとっては、逆にそれが不気味でもあった。
 慌ててハンカチを取る。
 いつもなら、血で張り付いた布をはがすときの痛みで顔を歪めていただろう。
 だが今は、それすらもない。どんな理由でそうなっているかは知らないが、痛覚は総て要に持っていかれている。
 だから陸の行動はいつも以上に乱暴になっていた。
 ハンカチをはずした腕には、血を流し続ける大きな傷があるはずだった。
「どうなってるんだ……?」
 茫然と陸がつぶやく。
 その腕には、傷一つなかった。男の勲章として自慢する傷はいくつも残っている。それなのに、先刻おったはずの深い傷はすでに影も形もない。
「これ、夢かな」
 にしては、リアルすぎる。踏みつけられた草の香り、頬を撫でる風、野鳥の鳴き声、人を殴り飛ばすときの感触。どれもが、夢の続きとは思えないほど鮮明だ。
 陸は溜め息をつきながら、山道を歩く。
 とにかく、要のところに戻ろう。それからだ。
 難しいことは要の担当である。
 ここで陸があれこれ考えても答えが出るわけではない。
 足早に道なき道を歩き、陸は急にぴたりと立ち止まった。
 そして、おもむろに後方を見る。
 小走りでついてきた子供は、陸が振り返った瞬間、慌てたように木陰に隠れた。そして、こっそりとこちらを窺ってくる。
 なんとなく、小動物のような動きだ。
 陸はクルリと前に向き直ると、そのまま全力で走り出した。
「あんなの連れて帰ったら、要に怒られる!!」
 助けはしたが、その後のことなど考えもしなかった陸は、子供をふり切るのに必死だ。大人気ないといわれようとも、それが大海陸の思考回路である。要が彼を「お子様」扱いするのはその単純な行動原理に他ならない。
 陸は息が切れるまで走り、後ろを見た。
 ついてきている。しかも息一つ切れてはいない。
「ぎゃ〜お母さん〜ッ」
 体力しか自信のない陸は、情けない悲鳴をあげた。相手は子供だ。いや、この場合は子供だから怖い。
 とがった耳、爛々と輝く目、小さな唇からのぞく鋭い犬歯――
 どう考えたって普通じゃない。あれが本当に仮装行列の一員なら、大体なんであそこまで体力があるんだ。見た目は多少変わったところはあるが、どこにでもいる平凡な子供だ。
 仮装していても、中身が子供なら陸のスピードにはついてこられないはずだった。
 なのについてきているということは、つまりあれは普通の子供じゃないということだ。
 単純なりに、そう結論が出た。
「要〜!!」
 一番頼りになるはずの幼なじみとははぐれたまま。
 陸は生い茂る木々を抜けた。
 とたんに目の前がひらける。
「げ」
 陸は一言だけつぶれたようにそう言って立ち尽くした。
 遠くに建設中の城が見える。手前には、軒を連ねる家々が小さく建ち並ぶ。永遠に続く大森林の一部をくり抜いたかのような空間。
「スタート地点逆戻り!?」
 見事な帰省本能で、陸は眼下を一望できる切り立った崖の上へと舞い戻っていた。
「ぎゃあぁあぁ!? どこ!? 要どこ!?」
 ちなみに彼は、とうの昔に甲冑の男たちに連行済みである。無論そんなことなど知りもしない陸は、そして再び情けない悲鳴をあげた。
「うぁ?」
 陸を追いかけて走ってきた子供は、そんな彼の姿をきょとんと見上げておかしな声を発した。
「ぎゃあ!!」
 陸が仰け反る。
 とっさにポケットから小銭を掴むと、陸はそれを子供に見せ、
「取ってこい!!」
 の掛け声とともに思い切り投げた。
 錯乱中の人間は何をするのかわからない。いくら相手が子供だからといって、そんな命令を聞くはずはない。
 が、子供はとっさに光るモノめがけて走りだした。
「じゃあな!! 短い付き合いだった!!」
 片手をあげて山道を駆け下りようとした瞬間、小さな影がパッと陸の前に移動した。
 あまりの速さに、陸が唖然とする。
 薄汚れボロボロになった服を着た、小さな小さな子供。その手には、さっき投げたはずの小銭がしっかり握られている。
 キラキラした瞳。嬉しそうにこぼれる笑顔。どうやら、遊んでもらっていると勘違いしているらしい。
 陸はがっくりと座り込んだ。
「わかったよ、もう」
 逃げ回るだけ無駄という答えがはじき出され、陸が苦笑する。
 子供がちょこちょこ近づいてくる。そして、そっと両手を差し出して陸に小銭を返そうとした。
「いいよ、やるよ」
 押し戻すと、子供は少し不思議そうな顔をする。
「お前にやるよ。オレいらないから」
 自分を指差して打ち消すように手をふり、子供を指差してもう一度小銭をのせた小さな手を押し戻すと、その表情がパッと明るくなった。
 なかなか頭の回転が速いらしい。
 子供は嬉しそうにお金をつまんで空にかざしている。
「――お前、名前なんての?」
 子供は陸を見て、少し首をかしげている。
「う〜ん。言葉通じねーもんな……」
 しばらく逡巡しゅんじゅんしたが、どう名前を聞いていいのかわからない。とりあえず自分の胸を指で押しながら、
「陸、りく、だ。わかる? りく」
 と繰り返してみる。
「お前は?」
 今度は子供を指差した。
 子供は陸を指差し、
「りく?」
 と問いかけ、自分を指差してもう一度首をかしげる。その動きが、やはり小動物のように見える。
「名前、ないの? オレ、陸。お前は?」
「りく? おまえ、は?」
「う〜ん。……よし、じゃあ、コロにしとくか!!」
 それは犬の名前だ。
 きっとここに要がいたら、その軽すぎる脳が音をたてるぐらい殴っていただろう。


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