act.10  間に合わない


 巨大な船が一隻、船着場ふなつきばに停まっている。
 通常の船の約4倍――家畜、貨物を配送するために造船されたと噂される見た目は驚くほど豪華な船<Nイーン・ロザンナ号。
 名前のセンスもさることながら、どこの文化を主流に取り入れたのかを問いたくなるようなミスマッチなその船は、意外にも貴族たちには人気の一隻でもある。
「どうしよぅ、トム」
「どうしようもないだろう、ジョニー」
 背ばかり高いひょろなが男が目を潤ませながらかたわらの髭面ひげヅラ小男に言うと、小男は憮然とそう返した。
 二人は手に手を取り合って、実はまったく金のかかっていないハリボテだらけの豪華客船<Nイーン・ロザンナ号と、その前に堂々と仁王立ちした暴君を見た。
 見事な金髪、紫水晶のごとき不思議な色合いの瞳――何よりその暴君は、人前もはばからない性格をしており、非常に世間知らずでもある。故にいつも顔を覆いたくなるほどよく目立った。
「なんだ、この豪華客船は? 名ばかりか? これはエバの木じゃないか、よくこんなもので船を作る気になったな。だいたい釘の打ち方も甘い――」
 暴君、クラウス・ヴァルマーは船を入念にチェックしながら、一つ一つに文句をつけている。ニュードルの第四王子は見てくれはいいのに嫌われ者だ。王族の中でも彼を擁護ようごするものはいないし、広い城内でも彼を慕う人間はいない。
「ク、クラウス様……」
 それでなくとも十分目立つ容姿の彼を乗客たちが注目し始めている。
 トムは恐る恐る声をかけた。
「なんだ?」
「いえ、そろそろ乗船してはどうかと……」
 控え目に小男は進言する。
 クラウスはじろりと小男を見た。
「――お前、なんでそんな格好をしている?」
「は?」
「何故そんなだらしない格好をしている?」
 ヤバイ――トムは本気でそう思った。このまま乗船ギリギリまで放っておけば小言の矛先は自分には向かなかったのに、余計なことをしてしまった。
 トムは冷や汗をかいている。
 しかし、実際におかしいのはクラウスの服装である。何重にも着込んだいかにも高価そうな服は、長旅には不向きだ。逆に山賊に襲ってくれといっているようなものなのである。この場合、質素で動きやすいトムの服装のほうがにかなっている。
 しかし暴君は、そんな常識など気にもとめない男であった。
「いえ、あの、これで精一杯だったんですよ!!」
 弁解の言葉も思い浮かばず、トムはとっさにそう返す。後方でジョニーが千切れんばかりに首を縦にふっていた。
 暴君は二人の供を見比べて、大仰に溜め息をついた。
「いい。行くぞ」
 そう残すなり、さっさと歩き出す。トムとジョニーは涙目になりながら頷きあって、ぐっと握られた右手を微かにあげ、親指をたてた。今日の小言は最短だった。本気で助かったと思っている哀れな従者は、暴君の機嫌を損ねることがどんなにまずいかを熟知していた。
 クラウスに続き乗船した二人は、その船の広さに驚いた。子供たちが大はしゃぎで走り回る、その気持ちもよくわかる。作り自体はよくないが、趣向を凝らした船とも言えるだろう。乗客を飽きさせない心遣いというよりは、珍しいものを手当たり次第に船に取り付けたというその感は否めないが――まぁたまには悪くない。
 センスの悪さもここまでくればたいしたものだ。ドアに張り付いた見たこともない剥製の首を眺めながら、従者二人は感心していた。
 もちろん、クラウスには気に入らないコトずくめの船である。
「む、この壁の塗りが甘い」
 から始まり、立て付けが悪い、装飾が悪い、調度品の趣味がなっていない、洗面所が使いにくい等々、永遠に文句のオンパレードとなった。
 トムとジョニーは他人のフリをしている。ついてまわっていちいち頷いていたら、乗客や船員に否が応でも目をつけられる。
 二人は甲板に立ち、城がある方向を見詰めていた。
「帰りたいなぁ」
「言うな、ジョニー」
「だってよぅ、トム〜」
 見た目はずいぶんアンバランスな二人は、しかしひどく似通った境遇でここに立っている。
「オレ、不幸なのかなぁ」
「……」
 さすがにその言葉には、肯定も否定もできなくてトムは押し黙った。
「あ?」
 不意にジョニーがおかしな声をあげる。
 ひょろ長男が細い指でどこかを指している。トムはその指の先を視線でたどって、ぎょっとした。
 遠目からも鮮やかな白馬が駆けてくる。その背には、唖然としたくなるような服を着た少女が――いや、少年がいた。
 あれはもう、特注だろう。特注に違いない。
 トムとジョニーは当面の問題にフタをして、目の前の奇異だけに意識を集中した。すばらしい自己防衛本能である。現実逃避とも言う。
 白馬は見る見る近づいてくる。乗客たちが何事かと甲板に詰めかけた。
「――リスティ?」
 さすがに驚いたようなクラウス王子の声が、二人の従者の耳に届く。どうやら小言に飽きて戻ってきたらしい。
 奇異な姿の大臣の息子は、軽やかに白馬から飛び降りるとどこからともなく金貨を出し、船員に手渡した。
「あの馬と私のボディガードたちも一緒に乗せてくださらない?」
「も、もちろんですとも!!」
 一見するだけでは性別さえも不明のリスティの微笑みに、年若い船員はカチカチになって返事をした。
「ありがとう。楽しい船旅をお願いします」
 リスティ・カルバトスはそう残して乗船した。
 増えた。
 揉め事の種が、いま確実に一つ増えた。
 トムとジョニーは真っ青になりながら、長い階段を上がってくる少年を見詰めた。
 見た目は可憐だ。確か17歳と聞いたことがある。そのわりに、変声期もなく体つきが激しくかわるわけでもなく、少年は昔のままの姿で生活している。
 少し変わった趣味を持ってはいるが、第四王子よりは被害が少ない。
 ただしこの二人、嫌なところで共通点がある。
「間に合ってよかった」
 リスティがにっこり微笑みながら、クラウスの前まで歩み寄る。
 突然の珍客に、乗客たちは唖然としながらも何故かわざわざ道をあけた。恐るべし、リスティ・カルバトス――いまだに現実逃避を続ける従者二人は、本気でそう思うことにした。
「――何をしに来た?」
「お父上に頼まれました」
「……なにを」
「はい、貴方に何かあったら、その美しい髪と目だけは無事に届けよと!!」
 違う。
 きっとこの場にニュードルの国王ジル・ヴァルマーがいたら泣きながら訂正するだろうが、生憎そこにいたのは微妙にズレた人間ばかりだった。
 言うかもしれない、あの父ならば。
 と、クラウス王子は妙に納得した。
 言っちゃうんだ、そういうコト?
 と、従者二人は少し考えた。
「私も旅に同行します」
 出航の準備を始めた甲板の上で、リスティはそう言い切った。事後承諾である。
「供もつけずにか?」
 呆れたようにクラウスが問いかける。リスティは小首を傾げた。
「いえ、連れてまいりました。腕利きを10人ほど――」
 クラウスがクイクイ指をさす。指の角度はずいぶん下だった。
 いぶかしがりながら、リスティは看板から身を乗り出すようにして下を見た。
「あ――」
 ボディガード用に屋敷から連れてきた男たちが、ぐったりと倒れている。その手は出航した船に未練がましく伸ばされていた。
「きゃぁ!? どうしましょう、どうしましょう!? 間に合わなかったの!?」
 それよりまず、17歳の男が「きゃぁ」はないだろう、とトムとジョニーは内心でつぶやく。
「どこから走らせた?」
「館からです!」
 クラウスの問いに、当然というようにリスティは答えた。そりゃ当然<oテるだろう、と従者二人は気の毒そうに遠く離れていくボディガードたちを見た。ここまで走ってきただけでもたいしたものだ。
「じゃあ、お前のボディガードはそいつだけか」
 溜め息とともにそう言ったクラウスにつられるように、リスティはゆっくりと背後を見た。
 そこには身長180センチを超える大女が一人、肩で息をしながら立っていた。
 かなり痛んでいそうなボサボサの黒髪。色気の欠片もないしっかりとした顔立ち、肩幅は男並み、もちろん腕も驚くほど筋肉質だ。
 大荷物を抱えたままこの船に間に合ったということは、男よりも体力があるということだろう。
「いぃやぁ〜!!!」
 もちろんその外見は、リスティの美学からハズれまくっていた。


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