act.8 うさぎ
要はふと足を止めた。
今までに一度として見たことのない、文字通り抜けるような青空が頭上に広がっている。
「…………」
左右を見た。
木。
ただひたすら生い茂る木々。
鳥や動物の鳴き声と風に揺れる葉の音だけが続く世界。
「――どこまで走っていったんだ、あのバカ」
猪突猛進な幼なじみは、呆れるぐらいに体力がある。しかも無自覚だ。要がどこまで歩いても、『お前になんて貸してやんない!!』の言葉とともに山道を駆け降りて行った陸の姿はまったく見えなかった。
こっそり隠れて様子を伺っていると言う可能性もないわけではないのだが、要が本当に困っていると知ればすぐに飛び出してくるほど単純でもある。
「探すのか、オレが」
走りすぎたか迷ったか。本当に手のかかる幼なじみだ。散々摂取し続けた栄養は、残念ながら脳にまでいかなかったらしい。
幸い図体だけはデカい。
少しは目印にもなるだろう。
小さく溜め息をつき、要は歩き出した。
だが、不意に何かの気配を感じ、再びとまった。
ガサリという音とともに、深い森が何かを吐き出す。
「ッ!?」
要は後ずさった。
目の前に、人がいた。
何かを叫んでいる。
要は目を見張った。目の前にいる人間は、あまりにも彼の常識の範疇からはみ出していた。
そこにいるのは、無造作に長い髪を縛り上げた小柄な少年である。服装は要とだいぶ違う。要がブレザー姿の学生なら、少年は中世ヨーロッパをイメージした舞台役者。軽装ではあるが、淡いブルーのベストやズボン、マントにいたるその服装は、日本では間違いなく「おかしな人がいます」と通報されてもいいものだ。
おまけに少年は、長剣を要に向かって構えていた。
だが要の目を奪ったのは剣の切っ先ではない。
無造作に束ねられた少年の髪は腰に届くほど長く、異様なほど白かったのだ。まるで老人のような見事な白髪。そしてそれに比例するように、おそろしく白い肌。シミ一つないと言ってもいいだろう。
要を見詰める目は、真紅に染まっていた。
少年はじりっと要に向かって前進する。しかし要は、その場から一歩も動けなかった。
「アルビノ……」
初めて見る。ウサギではよく見かけるし、動物だとニュースで取り上げられたりもするが、人となると話は別だ。
世界には多くの人がいる。症状もさまざまだと聞いたことがある。
しかし実際に、ここまで見事に色素がない人を見るのは初めてで、要は素直な驚きを隠せなかった。
確か、アルビノはメラニン色素がないと聞いたことがある。あっても少ないのだと。
目の前の少年には、皮膚を容赦なく傷つけるはずの紫外線を恐れている様子はなかった。
「――異世界」
たとえばあの携帯の地球外≠フ文字が、ただの誤作動ではなかったとしたら。
たとえば本当に、昨日までの世界とは別の場所に迷い込んでしまっていたとしたら。
「これは偶然?」
まるで少年を守るかのように、
兵士たちはあっという間に要を取り囲んだ。
槍や剣を手にし、甲冑で身を固めている兵士たちは、アルビノの少年のように要にはずいぶん見慣れないものだった。
兵士たちは、一斉に要にその切っ先を向けた。
「それとも……」
要はゆっくり両手をあげた。
少年が兵士たちに何か指示を出している。
聞いたことのない言葉。一度として耳にしたことのない、不思議な口調。
その中で繰り返される言葉が一つだけあった。
『ラビ』
それが少年の名前らしい。
「――なんだ、やっぱりウサギじゃん」
混乱する思考の中で、要は小さくつぶやいた。