act.7  負けられん


「で、どこに行ったのだ、あやつは」
 見事に禿げ上がった頭をさすりながら、中年男は不満げな声で独り言のように問いかける。
 身長はさほど高くないが、横幅は妙に広い男である。頭とは対照的に、豊かな口髭が目に付いた。
 撫で肩から滑り落ちそうになる真紅のマントは、純白の毛皮で大げさに飾りつけられている。マントの下からのぞく服は、目を背けたくなるほど神々しかった。贅の限りをつくした――と、誰もがそう思うだろう。一級品の布に金糸銀糸をちりばめ、宝石まで縫いこんである。
 節くれ立った指には、成金としか表現できないような無駄に立派な指輪が右手に三つ、左手に二つはまっている。指輪がぶつかり合い、カチカチと音をたてた。
「はぁ、それが、バルトへ行くといったきり、供を二人連れて出て行かれました」
「――バルト?」
「小国です。最近興ったばかりの国です」
「遠いのか?」
「さぁ……」
 もみ手をしながら、部屋のすみで控えていた男が首をかしげた。円筒形の細長い帽子をかぶり、同じ生地で作られた服を身につけている。装飾こそ少ないが、対する男と比べればずいぶん品がいいように映る。黒に近い藍色の服には、わずかに金糸で刺繍がされていた。
「ニュードルの第四王子とあろうものが、こう度々国を離れるのはと申し上げたのですが」
「――このまま帰ってこないといいなぁ」
 派手な男は窓の外を見詰めながら、ポツリとつぶやく。
「そうでございますねぇ」
 思わず控えていた男も深く頷いた。
 そして、頷いた後でハッと我に返る。
「な、なんと言うことをおっしゃるのです、陛下!!」
「だってアイツうるさいんだもん。ワシ疲れた」
 はぁ〜と溜め息をつきながら、男――ニュードルの王、ジル・ヴァルマーはその場にしゃがみこみ、毛足の長い絨毯の裾をむしり始めた。贅の限りつくした彼同様、この部屋にあるものはすべて超一級品が取り揃えてある。猫足のテーブルもそれに合わせて作られた優美な曲線を持つ椅子も、家具も長椅子もタペストリーも絵画もカーテンも、もちろん絨毯だって庶民が一生遊んで暮らしても余るぐらいの最高級品ばかりだった。
 しかし、絨毯は無残にも所々に穴が開いている。ジルが八つ当たりのように毛をむしり取ってしまったからだ。昔はあんなに大変だった八つ当たりも、最近では指先の力がついてしまったのかさほど苦労なく絨毯の毛がむしり取れるようになってしまった。
「あんなに可愛かったのに、今じゃすっかり小姑ではないか。動きが遅いだの壁が汚いだのナイフの持ち方がおかしいだの食べ方が気に入らないだの」
 一気にまくし立て、ジルが腹の底から溜め息をつく。
「胃に穴が開くわい」
「――ここ三日で、40人ほど休暇届がありました」
「クラウスが城を出たと報せろ。すぐ戻ってくるわ」
「左様でございますね」
 頷いてから、再び男――アントニオ・カルバトスはハッと我に返る。
 世界には海を隔てていくつもの大陸がある。正確な数はいまだにわかっていない。それは地形が刻一刻と変化するためであり、一昼夜にして海に沈む大陸もあれば、その逆に忽然と姿を現す大陸も存在するからだ。
 ニュードルがあるここ――フロリアム大陸は他のどの陸地よりも安定している。記述によれば、まだ一度も沈んだことのない、数少ない土地の一つだ。
 その大陸で不動の地位を築く大国こそがニュードル。広大な土地と莫大な民、巨万の富を有する最大規模の王国である。
 その国を治めるのはよほどの切れ者と思われがちだが、しかし実際には、息子の小言に頭を痛めるどこにでもいる中年親父であった。
「これを機に勘当しちゃおうかな〜」
「陛下!!」
「だって第四王子だし〜家臣も大喜びじゃ。違うか、大臣」
「う……」
 否定はできない。しかし肯定はまずい。
 アントニオは狼狽した。ジルは国政には疎い。しかし、周りの人間をとてもよく観察し、いつも正しい判断をくだす名王≠ニ言える。
 その彼の言葉は非常に的を射ていた。
「しかし、勘当はまずいですぞ、勘当は――」
 アントニオの言葉が終わる前に、ドアが勢いよく開いた。
「お父様!!」
 少し高めの声が、部屋中に響く。慌ててジルは絨毯をむしるのをやめて立ち上がった。
 声に聞き覚えのありすぎるアントニオはぎょっとして振り返る。
「リスティ!! 王の御前だぞ!!」
 真っ青になって突然の来訪者を押し返そうとしたアントニオに、ジルは大らかに笑った。
「よいよい。今日は一段と華やかじゃな、リスティ」
 アントニオの腕からすり抜けて、リスティ・カルバトスは華麗に会釈する。
 いつ見てもリスティの服装は――変わっている。今日は少し赤みがかった金髪にあわせたのだろう薄い透けるような布地を何重にもして纏っている。腰紐は瞳にあわせたのだろうスカイブルーの宝石がちりばめられ、身につけているアクセサリーもやはり同じスカイブルーの宝石を使ったものだった。
「失礼いたしました、国王陛下」
 少年とも少女ともつかない、中性的な美しい容姿。まるで妖精のようなふわふわとした印象がある。
「クラウス王子が城を出られたと伺いました」
「ああ――まぁ」
 にっこりと華麗に微笑むリスティを見詰めて、ジルは微苦笑でかえした。
「どちらへ?」
 リスティの質問に、アントニオがうろたえた。
「お、おいリスティ、まさか追いかけようだなんて――」
「はいお父様! リスティはクラウス王子のもとに参ります!!」
 嬉しそうに振り向きざまに答えた。その可憐さは、父親であるアントニオでさえ見惚れてしまうほどだった。
「バルトと言う小国らしい」
 ジルの言葉に、リスティはパッと向き直った。
「ありがとうございます、国王陛下」
「――クラウスを連れて帰るのか?」
 できればやめてくれと、ジルは本気で考えている。
 悪い子ではないのだが、どうにもこうにも口うるさくてかなわない――なんにでも興味を持つのはいいのだが、クラウスはいささか度が過ぎる。
「はい、その所存で。最悪でもあの美しい目と髪は国王陛下のもとにお届けいたします」
 うっとりとリスティは言ってのけた。
「い、いや、気持ちは嬉しいが、できれば体とセットで連れ帰ってもらえるか?」
「もちろんです。最悪の例えが、目と髪です」
 いくら口うるさい息子でも、パーツだけのご帰還と言うのはあまりに洒落にならない。
 ジルの頼みを快諾したリスティは、ちょっと変わった趣味を持っている。運の悪いことにクラウスはリスティの趣味にぴったり当てはまっていた。
 リスティは軽やかにアントニオの傍らをすり抜け、ドアを開けた。
「クラウス王子は楽しい遊びが見つかったからそのような小国に旅立たれたのでしょう。負けられません!! お父様! 使用人をお借りします!!」
「お、お借りって!?」
「はい、ほんの50人ほど!!」
「館をカラにする気か!?」
「では、腕利きを上から10人ほどにいたします」
 父の返事を待たずに
「では国王陛下、ごきげんよう」
 の言葉を残して、リスティは嵐のように去っていった。
 唖然とドアを見詰めるアントニオの肩に、ポンとジルが手を置く。
「大変じゃなぁ、一人息子があれでは」
 美しいものが大好きで、一度欲しいと言い出したらどんな手段を使ってでも手に入れないと気がすまない、それがリスティ・カルバトス――アントニオの不肖の息子である。
「ははは、何をおっしゃいます陛下。小姑のように口うるさい貴方様の息子に比べれば、まだ実害は最小限ですよ」
 三日間で40人が休暇届を出したのは過去最多記録である。
 国王と大臣は互いに顔を見合わせて、肩を組んで近くの窓から空を仰いだ。
「こういう張り合いは負けたほうが勝ちですよねぇ」
「負けられんのが悲しいのぉ」
 フロリアム大陸で大国として知られるニュードルの国王と大臣は、不肖の息子に嘆く、実はとっても庶民的な男たちであった。


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