act.5  366


「でもさぁ」
 と、山道をとぼとぼ歩きながら陸が口を開いた。
「何でオレのケガでお前が痛いの?」
「知らん」
 簡潔に答えた要に、陸ががっくりと肩を落とす。身もふたもないとはこのことだ。
「じゃあ逆に、お前がケガしたらオレが痛いわけ?」
「やってみるか?」
「やめてくだサイ」
 陸は即答していた。うんとでも言おうものなら、本気で自分を傷つけかねない。自分が痛いことよりも、要が傷つくことのほうが陸にとっては大問題なのである。
 なにせ要は見てくれだけは本当にいいのだ。
 その要が傷を負えば、傍にいたお前はいったい何をしていたのだと友人たちに責められる。陸のケガは要のそれよりもウェートがすこぶる低い。
 それに、母親も怖い。
 息子が大怪我をしても、要が無傷ならむしろ「よくやった」とほめるような女である。
 加えて言うなら、要の母親は、もっと怖い。
 ウチの息子キズモノにしたら、死んで詫びいれさせるわよ?
 薔薇のように艶然と微笑みながら、要の母親はそう言い切る女だ。
祥子しょうこさん怖いから」
 要の家族は美形ぞろいだ。こういう親からはこういう子供が生まれてくるのかと、陸が納得せざるを得ないほどの。
 逆に陸の家はごく平凡な家庭である。フツーに冴えないサラリーマンの父とフツーにどこにでもいるオバサンと成り果てた母、元気だけがとりえの弟たち。
 呆れるぐらいに平凡な、そんな家だ。
「祥子さん過保護だもんな」
「兄貴ウチ出てから、余計な」
「いや、その前からだろ」
 そう言って、陸は苦笑する。
ひじりさん今どうしてるんだ?」
「さぁ。山に行って山男と結婚したとか」
「――そりゃないでしょ」
「母さんが真顔で言ってた」
「あ〜」
 微妙。
「ってゆーか、聖さん男だってば」
 ちぐはぐな会話をしつつ、陸がさらに苦笑を深くする。
「確かにスゲー美人だけど」
 要の母親の祥子は、たまにメチャクチャなことを言って少年たちを驚かせたものだ。どこまでが本気でどこからが嘘だったのかは判然としない。
 要も陸と同じことを考えたのだろう、ちょっと笑って空を見上げる。朱色に染まっていた空は、すでに青く澄みわたっていた。
「どこだろうな、ここ」
 思わずもれた要の疑問に、陸も空を見上げる。
「どこなんだろうなぁ」
「城は建てかけだった。建造中。今頃そんなものを必要とする国は?」
 まるで時間が逆行している。国内でこんなに大々的に城≠建設するなら、ニュースやワイドショー、新聞などで連日報道されるだろう。
 要は情報に疎いほうではない。そんな話は一度も耳にしたことはない。
 ならば、国外という可能性はどうだろう。
 しかしここでもひどく単純な問題にぶち当たる。
 近代化を強引に押し進め、高層ビルを建てようとする国はあるだろうが、多大な労力をはらってわざわざその逆のことをするなど考えにくいのだ。
 眼下にあったのは石造りの巨大な城。
「う〜ん」
「それに、――オレたちが登校する時間はもう日が昇ってた。オレたちが朝焼けを見るのは物理的に不可能だ」
「だよな〜」
「陸橋から一緒に落ちた自転車とカバンもない」
「う〜ん」
「何より、陸橋から落ちたんだ。山の中にいるはずがない」
 何もかもが有り得ないことばかり。しかし、現に起こっているのだ。
 気のせいだ、何かの間違いだと言っている場合じゃない。
「オレたちがここにいる理由わけは?」
「ワケ、か」
 肩を並べて山道を歩きながら、陸は首をかしげる。
「あるのかな、ワケなんて」
「偶然のほうがいい。多分な」
 要は小さくそう返した。
「なんだよ、それ」
「必然なのはよくないってことだ。偶然なら、どうとでもなる」
「意味わかんないんだけど?」
 眉根を寄せる陸に、要は小さく溜め息をついた。
「帰る頃にわかるだろ」
「帰れるのかな」
「お前、ここで動物の友達に囲まれて暮らしたいのか?」
「なんで動物になるんだよ!?」
「似合うだろ」
「どーせサバイバル向きだよ、オレは」
 ぶうっとむくれた。
 乱暴に両手をズボンのポケットに突っ込むと、金属のぶつかる音がした。それが意外だったのか、陸が奇妙な顔をする。その姿を見て要が足を止めた。
「なに? 金?」
「ん――ああ、コンビニのおつりだ」
 陸がごそごそとポケットを探る。レシートと小銭が出てきた。
 陸はそれをちょいちょい数えながら、要に言った。
「366円」
「貧乏人……」
「うっせぇ!! お前いくら持ってんだよ!?」
「財布はカバンの中だ。わざわざ持ってるわけないだろう」
 偉そうにふんぞり返った。当然だといわんばかりの態度に、小銭を握りしめた陸は口をへの字に曲げる。
「お前になんて貸してやんない!!」
 うわっと、脱兎のごとく山道を駆け下りていく。
 本当に陸の中身はてんで子供で、見ていて飽きない。どうせ要が追いつくまでどこかに隠れて待っているのだ。いくら待っても来なければ目立つところに立って待ち、さらに来なければ来た道を逆走して迎えに来る。
 呆れるぐらいに行動パターンは読めている。
「その金、使えないよ」
 溜め息とともにそうぼやいて、要はポケットを探った。
 若干の重み、若干の厚み。
 最近の携帯電話は機能もいいし便利もいいし、何よりかさばらなくて持ち運ぶにはうってつけだった。
 母親から肌身離さず持つように言われていた。確かに過保護で口うるさい母ではあるが、要を心配しての行為だとよくわかっているから、彼は彼女の言葉を最優先にする。
 要は液晶画面に視線を落とす。
 待ち受け画面はいつもと同じだった。
 どこかのサイトでダウンロードした古城の風景。
 これは陸も気に入っていて、二人そろって同じものを使っている。大きな城の後方には、昨日までは決して見たことのない大森林が広がっている。森の前方には町が――
 そう、さっき見たはずの町があった。
「ここなんだ」
 待ち受け画面の画像は、おそらくあの丘の上で撮られたもの。たぶん時間が違うのだ。
 液晶画面の城はすでに完成していた。
「何の冗談だよ……」
 圏外と表示をされるはずのその場所には、こう刻まれていた。
『地球外』
 見慣れぬ言葉、見慣れた風景。いや、実際には初めて見るのだから、やはりこれも見慣れないというべきだろう。
 要は無言で携帯の電源を切った。


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