act.4  それだけは勘弁してください


 要は冷静にあたりを見渡す。パニックを起こして大騒ぎするのはすべて陸に任せた。自分より混乱している人間がいてくれると、壊れかけた理性も戻ってくる。
 陸を軽んじているのではなく、これは昔からの要のクセのようなもの。
 陸が傍にいると割と大丈夫だと思ってしまうのだ。
 いや、むしろ自分がしっかりしなければと思ってしまうのかもしれない。何せガタイはいいが、陸の中身はてんでお子様だから。
「さて、どうしようかな」
 目につくのは深く広大な森となだらかな丘の上にある建設中の城。その下に広がる町。自分たちがいるのは切り立った丘の上――というより、これはもう山というレベルの断崖絶壁。ロッククライマーならさぞ喜んで登ることだろう。
 どこか迂回して町に下りるべきか。
 危険を伴うかもしれない。しかし、情報が必要だ。
 ここはどこなのか。今はいつなのか。
 そして自分たちは元の場所に戻ることができるのか。
「要〜!!」
「――うるさい」
 身長180センチの男に鼻声で甘えられても、ちっともまったく嬉しくない。不安でどうしようもないのはわかるが、それはお互い様だ。
「とりあえずあの町までおりるぞ」
「え〜」
「じゃ、ここでうじうじしながら動物の友達でも増やしたいのか?」
「う〜」
 どっかり胡坐をかいて、陸がまわりの草をぶちぶちむしっている。要はわずかに眉を寄せた。
 痛みが、来る。
 自分のものではないうずくような痛みが。
 陸の腕には要のポケットに入っていたハンカチが巻かれている。真っ白なそれは、ところどころ赤く染まり始めていた。
 陸の腕の傷――そのまったく同じ場所が痛い。
 本人が痛みを感じないというのは、かなり厄介だ。
 自分が痛みを受けるのはいい――そう、それはまだいいと思う。
 だが、陸に痛みがないというのは、生物としてかなり危険だ。
 痛みは体を守るための危険信号だ。危険信号がないということは、命の危機が迫っていても、本人がまったく気付くことができなくなる可能性があるということ。
 陸はケガに慣れすぎている。
 そんな人間が痛みを感じられなくなったら、一体どんなことになるのだろう。
 もともと痛みに鈍感な人間なのだ。手当てはうまくとも、それ自体に気付かないようでは元も子もない。
 要はいきなり陸の腕を取った。
「いいか!?」
 とりあえず脅そう。要は冷静に恐ろしい結論に至った。
「お前がケガするとオレが痛いんだ。死んでもケガするな」
 この際矛盾は棚の上におき、要は整った顔を近づけて恐ろしく低い声で陸にすごんだ。
「無茶言うな!!」
 予想のできた返答。陸のパターンはお見通しだ。
 ならば一番弱いところを攻める。
 ――ちなみに、要は若干サド気質である。
「英語の課題」
 陸は英語が大嫌いだ。教科書は新品かと見間違うほど美しい。もちろん課題を自力でやったことなど一度もない。
「え」
 要の言葉に、陸がうろたえた。
「古文」
「う」
「数学――」
「げ」
「テストのヤマかけ」
「やめて! それだけは勘弁してください!!」
 陸が大げさに両手をあげる。勉強嫌いの陸は、課題のほとんどを要に頼っている。テストのヤマかけも要に頼む。おかげでなんとか成績は維持しているが、それが差し押さえられるのは非常にありがたくない。
 というより、留年が確定するといってもいい。
「努力する!! だから教えて!」
「死ぬ気でがんばれヨ」
「あ〜い」
 ほとんど半泣きだ。
 まぁ悪くない反応だと要は思う。今の条件で飲むということは、陸にも帰る意志がはっきりあるということなのだ。これは些細だがとても大事なこと。
 まさかこの条件が自分のために出されたとは思っていない陸は、どんよりと湿っていた。
 もう少ししたら浮上させてやらないと、カビが生えてきそうだ。
「面倒くさいヤツ」
 クスリと要が笑う。
 でもほら、幼馴染だし。
 危ないときはいつも守ってもらってるし。
 本心を言うことは決してないけれど、実はこの二人、デコボコだがなかなかいいコンビだったりする。


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