「怪しい者ではありません」
 狭い部屋の一室、そのソファーに腰かけ、彼は黄ばんで角の取れた名刺を差し出して胡散臭い笑顔とともに腰を折った。
「当社はお客様のニーズに合わせ、投資を行う会社です。まだまだ知名度はありませんが、業界でも注目を集め始めている新しいスタイルの事業で、顧客数は現在……えーっと、えー……ああ、こちらにパンフレットがあるのでよければどうぞ。イメージキャラクターはいまをときめく星ヒョウマです。え? いえいえ、星飛雄馬じゃなくて、ヒョウマです、ヒョウマ。ご存知ありません? 失礼ですが、お客様はテレビはあまり見ない……あ、毎日十時間もご覧ですか? あはは、おかしいなぁ」
 名刺を乱暴にポケットに戻し、彼はガリガリと頭をかいた。中肉中背、やや眼光は鋭いもののこれといって特徴のない男である。営業マンという立場を意識してか、髪型や服装はこざっぱりしているが、挙動不審とも思える落ち着きのなさはどうにも接客向けとは思えない。
「お客様、なかなかお目が高いですね」
 彼は押し黙ったあと、ぱっと表情を変えて声を弾ませた。
「そうなんです、それが我が社自慢の新システムです。登録料は初年度無料、二年目からはわずか五十万円! まずはカタログをチェックしていただき、お好みの肉体パーツがあった場合予約をします。レンタル料は部位によって異なり、最短三時間で五万円から最高一億円と実にリーズナブル! 予約一時間前に来店し、メディカルチェック後に肉体パーツを取り替えます。当社熟練のスタッフが万全を期して設置、痛みなどはありませんのでご安心ください。肉体パーツをお取り替え後、拒絶反応を抑えるためのお薬をお渡しします。これは必ず服用してください。でないと生命の危機に……ごほごほ。い、いえ、なんでもありません。とにかく、使用上の注意を守っていただければ問題ありません。一秒後には理想の体を手に入れます。……一部、ですが」
 彼はカタログの最後のページを開いて見せた。
「当社では最高の技術をお客様に提供するかたわら、低コスト化を目指す一環にこのような措置をとっております。つまり、お客様ご自身も肉体パーツを登録して、投資の、文字通り母体となっていただくというものです。バックは通常、売り上げから手数料を引いた金額の一割となります。最近ではこちらの登録数も順調に伸びておりまして、美と健康に気をつけるようになったとお喜びの声も多く寄せられるようになりました。え? 肉体パーツを貸し出している間の登録者? それは問題ありません。代わりのパーツをお貸ししております」
 そこですかさず黒のビジネス鞄から書類を一枚取り出す。
「まずは仮登録などいかがですか? いつでも解約できる安心システムで、問題がなければ自然に本登録されるように配慮しております。初年度は無料ですので、急なデートなどで目元をパッチリさせたい方やエラ張りが気になっている方なども気軽にご登録されておりますよ。後々、自分の顔に近いパーツに替えていき相手の目を混乱させ……、いえ、慣らしていけば、これといって問題ないようです。ほら、女性のニセ乳と同じ原理ですよ。親しくなるとパットの枚数を減らしていくって言うでしょ? はじめは巨乳だったのに、会うたびに小さくなっていくっていう謎の現象ですね。女性が自分をより魅力的に見せるための手段なんです。上げ底乳と同じですね。え? 詐欺じゃないかって? いやあ、僕は小胸が好みなんでよくわからないんですよ」
 検討はずれの意見を口にし首を傾げて誤魔化すように笑う。彼は胸ポケットからメッキのはがれかけたペンを取り出すと指先でくるりと回転させて差し出し、さらに朱肉を用意する。
「ではこちらの黒枠内に必要事項を記入してください。印鑑は……ああ、なくても結構です。こちらに拇印を。お時間にゆとりがありましたら、下のアンケートにお答えいただけると恐縮です」
 ぴんと背筋を伸ばし、彼は向かいに座る微動だにしない人影をじっと見つめる。約五分間、お互いに指一本動かさずに見つめあった後、彼は深々と頭を下げた。
「ご契約ありがとうございます! わたくし、担当の折師辺おりしべと申します。御用の際には遠慮なく電話をください。スタッフ一同、お客様が快適に生活できるよう全力でサポートに努めさせていただきます」
 やや疲れたように折れ曲がる真っ白な紙を丁寧に持ち上げ、彼は確認するように視線を走らせてそれを鞄にしまい、ペンと朱肉をポケットの中に落とす。
 もう一度、彼は表情一つ変えない相手に頭を下げた。そして、勢いよく顔をあげる。
「よし、今日の練習終わり! 我ながら完璧なセールストークだ」
 ふうっと大きく息を吐き出し、彼は額に浮いた汗を服の袖でぬぐって目の前のマネキンに微笑みかけた。彼が腰かけるくたびれた長椅子の上には「肉体投資銀行設立原案」と題した手書きの書類と、まるで一昔前の脅迫状を髣髴とさせる会社の宣伝用の切り張りのチラシが無造作に置かれていた。
 折師辺境夜おりしべきょうや二十四歳。本職黒魔術師、副職セールスマン。――彼女いない暦、イコール、年齢。一般のOL以下の収入を手に、ワンディーケー、トイレ、風呂共有のアパートに住み、車という高価な代物などいまだに所有の兆しがないという生活を送っている。
 珍妙な発想と行動を取るがゆえに皆に警戒されているという、そんな身近な現実にさえ気付かずにただひたすら我が道を突き進む現代の黒魔術師――それが彼の正体である。

 人は彼を「無害な変態」と呼ぶ。

=終=

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