「何の話?」
 人のまばらになり始めた教室で、肩を寄せ合うように熱心に話し合っていた友人の間に絵里は強引に割り込んだ。
「それがさぁ、琴美、亮君の家に行っちゃったんだって!」
「え……」
 絵里の頭の中で、ぐるぐる同じ言葉が回っている。
 家に行った。
 そりゃあ行くだろう。付き合ってるんだから。行って当然だ。
「で、で、どうだったの!?」
 千佳子が興味津々で琴美に詰め寄っている。
 千佳子も、彼がいる。隣のクラスのあまり目立たない男だ。絵里の好みのタイプではない。帰宅部のせいか、体を動かすのが苦手なせいか、彼は結構太っている。
 ちなみに、千佳子もどちらかというならふくよかなほうだ。超ミニのスカートから覗く足は、ダイエットをすすめたくなるほど見事である。
 ただ千佳子の場合は胸も大きくて、ただのデブというより人一倍いろんなところが発育しすぎたようにも見える。
 その反対に琴美は、どちらかというなら幼児体型。さしたる凹凸もなく、水泳の時間は水の抵抗がないから早く泳げるだろうと揶揄されるほどだ。
 しかし、琴美は大学生と付き合っている。
 三年に進級してからすぐだったと記憶しているから、あのかっこいい大学生とはもう三ヶ月あまりの付き合いになる。
 いくら童顔で幼児体型だといっても、そろそろ、と考えるのは話の流れ的によくあることで。
「どうって〜」
 琴美がもじもじする。
 それを見て、千佳子のほうが照れながら悲鳴をあげている。これではあべこべだ。
 あべこべだが、そんなことはどうでもいい。
 問題なのは、このどこもかしこもガキ臭い琴美でさえすでに、絵里の知らないことを知っているという事実だ。
 絵里はまだ、彼氏さえいないというのに。
「始めはね、怖くて」
「でしょ!? もぉドキドキするよね!!」
「でも触ってごらんって言われたから」
 触ったのか!?
 と、絵里は心の中だけで激しく突っ込む。表情には一切出さない。出すもんかと思っている。
 彼なんて面倒くさいからいらないと口では言っているが、それは周りが騒ぎだすと悔し紛れに言う捨て台詞なのだ。
 実際には欲しい。
 仲良く登下校だって、実は憧れている。一緒に遊びにだっていきたいし、旅行にだっていってみたい。
 友達とは違う空気を感じてみたい。
 なのに焦れば焦るほど、チャンスが減っていく。
 気付くとまわりはカップルだらけだ。受験を控えた三年生でも、まだ一学期のうちは余裕の表情の者が多い。一緒に勉強に励むムカつく友達もいる。
 いや。うらやましい友達が。
 絵里はそんな友達の輪にはいまだに入れない。恋愛話になると、ひどく憂鬱になる。
「なでるとだんだん大きくなって――」
「そうそう! 始め怖がってるけど慣れると大きくなるよね!」
 千佳子が大きくうなずく。
「うん! もぉ黒くってかわいいの!」
 琴美が両頬を押さえて黄色い悲鳴をあげる。
「ちょ――ちょっと!」
 いくら初体験が自慢でも、教室でする話題じゃない。
 絵里のほうが真っ赤になって、思わず大声で二人の会話を制止させていた。
「何の話してるのよ!?」
 きょとんと千佳子と琴美が顔を見合わせた。
「なにって」
「だから」
 少女たちの声が重なった。
「亮くんとこの黒猫マリオの話」
 あ―――。
 と、絵里は声もなく大きく口を開けた。
「やだ!! なに想像してたのよ!!」
 鋭く千佳子が突っ込んできた。こういう事だけ妙に頭の回転が速くなるいやな性格だ。
「べ、別にッ」
「私ネコ触ったことないって言ったら、亮君に家においでって誘われたの」
 真っ赤になってドモる絵里をフォローするように、琴美が助け舟を出す。
「マリオ一歳ぐらいなんだって〜かわいかったよ♪」
「へぇ……」
「それに、エッチは付き合って三日目にしたから」
「――!!!」
 琴美は微笑みながら、絵里を助け舟から突き落とした。
 人は見かけにはよらない。
 本当に見かけじゃない。
 本気でそう思う、中下絵里18歳。
 魂が抜けそうになりながら力いっぱい青空に吼えたくなる、ありがたくも清らかな少女――
 彼女が彼を獲得するのは、まだまだずっと先のようである。

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