男の家につくと、フィリシアは目を見張った。
そこは掘っ建て小屋と呼ぶにふさわしいボロ屋だった。
にもかかわらず、子供が出てくる。
「おっちゃん、お帰り」
「お帰り〜!」
「どこ行ったの?」
「ご飯ッ!!」
楽しげに弾む声。
五人の子供たち。
ボロ布をまとった少年少女を嬉しそうに見詰め、男は路地裏の店で買ったという動物を渡した。
キラキラと瞳を輝かせる子供たちは、いっせいに歓声をあげた。
「大切に飼うんだぞ」
男が言うと、子供たちは大きく頷いて動物を受け取るなり走り出した。
それを唖然と見送って、フィリシアは男に視線を戻す。
「えっ……っと」
「戦場で拾った孤児たち。……オレの大切な家族」
照れたように笑って、彼はボロ屋のドアを開けた。
「お茶でも入れますよ。どうぞ」
「え、いえ……」
「剣、扱いにくいでしょう」
「え?」
唐突な問いに、フィリシアは男を見た。
「その剣は貴女の手にはあわない。もう少し柄を細く――そうだな、長くしたほうがいい」
その言葉に驚きを隠せず、フィリシアは剣に手をのばした。
確かに、剣は扱いにくい。これは旅の途中で剣舞の練習と剣術の鍛錬を兼ねて出来合いを買ったものだ。
フィリシアのために作られたものではない。
いずれは腕のいい鍛冶屋に頼んで剣を二振り作ってもらう気でいた。
「調整しますよ。本当は、剣身も打ち直したほうがいいんだが……」
「あ、あなた……」
「鍛冶屋です。どんな金になっても戦争の道具を作る気にはなれないから、最近はもっぱら斧と包丁を作ってますよ」
穏やかに笑って彼はドアをくぐる。
つられたようにフィリシアもドアをくぐった。
そして、目の前に広がる光景に言葉を失う。
「刃はつぶしてあります」
男は小さくそう告げた。
その言葉を聞きながら、フィリシアは壁一面に飾られた剣をただ見詰めた。そこにある全ての剣は、武器としての価値はないだろう。
けれど、別の価値がある。
一本一本丁寧に仕上げられた装飾は、驚くほどの完成度だった。
鞘と剣が完全に一体となる優美な作りの剣は、宝剣として献上されても問題ないほどの出来栄えだ。
「すごい」
剣舞に使うなら、こんな剣がいい。
計算されつくしたその造形美は、目に鮮やかで自然と心が踊る。
「ねぇ、私に剣を打って」
フィリシアは男を見た。
男は少し困ったように顔をゆがめた。
「剣は、もう打たないと決めました。修理することなら出来ます。……それだけです」
控え目ではあるが、はっきりと意志の宿る言葉だった。
それがそうやすやすと動かされるものではないことを、フィリシアは瞬時に悟る。
戦場に身を置き、片足を失ってそこから生還し、そして孤児を養い続ける男。
優しいばかりの世界を見続けたはずはない。
人を傷つけるための道具は、本来なら触りたくもないだろう。刃をつぶされた剣は、ただ人の目を楽しませるためだけにそこにある。
彼にとって、剣はすでに武器ではないのだ。
「……でも」
何とか説得しようと口を開いた瞬間、フィリシアの背後にあったドアが無造作に開いた。
「約束の時間だぞ! 頼んだ剣は――」
ドアを開けた男はそこまで言って、驚いたように言葉を途切れさせた。
フィリシアも同様に驚いて振り返る。
「ディック!?」
「なんでお前がここにいるんだよ!?」
「なんでって、ディックこそ!」
女を口説きに行ったと思っていた男は、どこかバツが悪そうに溜め息をついた。
「……前に言っただろ、鍛冶屋」
初めて会ったとき、彼はフィリシアを助けるために剣舞を披露した。
その乱闘の際、彼の蛇剣が刃こぼれをおこした。以降ディックは鞘から剣を抜くことなく旅を続けていたのだ。
通常、兵士用に鍛えられた剣は持ち重みのする長剣である。兵士はそれを振り下ろして対象となるものを砕く要領で斬る≠フだ。
だが、ディックの扱う剣術は違う。
彼は本当に剣で対象物を斬る。そのため、剣はよく斬れるように研ぎ澄まされ、そして恐ろしいほど軽く作られていた。
その剣は通常のそれよりも強度がない。
小さな傷が全ての崩壊を呼ぶことを、ディックは誰よりも知っていた。
旅の一つに鍛冶屋が組み込まれていたことをフィリシアはようやく思い出す。
「……鍛冶屋」
フィリシアはディックの言葉を繰り返し、そしてこのボロ屋の主を見た。
「ディックさんの……そうか、おかしな注文だと思った」
男はボソボソ呟いて奥の扉に引っ込み、すぐに二振りの剣を持って戻ってきた。
フィリシアが息をのむ。
男の手に持たれていたのは、確かにディックの剣だ。
しかし、以前とはまったく違う。
その剣の鞘は細部に至るまで見事な装飾がほどこされていた。この町についてまだ数日しかたっていないにもかかわらず、驚くべき変容だ。
そして、その変化は鞘だけではなかった。
「お前にやるよ」
茫然と剣を見詰めていたフィリシアに、ディックが静かに告げる。
「持っていけ。お前の力になる」
優しいとも思える声音でそう告げる彼を、フィリシアはただ見詰めた。
剣の柄も、以前とは違う。
美しい装飾もだが、その太さや長さまでもが変化していた。それは、持ち主であるディックに合わせたとは到底思えない作りだった。
「ディック……」
身を守るために使ってきた剣を譲ろうとしてくれている。
ハープの次に大事にしている大切なものを、喧嘩ばかりしてきた旅の同行者でしかない自分に。
そう気付くと、胸がいっぱいになった。
「ディック」
「礼は要らない」
ふっとディックは微笑んだ。
「そのかわり、体で返してくれ」
人差し指を立ててそう告げたディックに、感動で打ち震えていたフィリシアの顔が一瞬で引きつる。
「こ、この……!!」
真っ赤になって震える少女にニヤリと男が笑った。
「バカ色魔ッ!!」
腹の底から発せられた絶叫に笑い声が混じる。
のちに彼女の力となり大切な人を守るための武器となった剣は、そんなふうに彼女の手に渡った。
それは、誰にも語られることのない小さな物語の切れ端。
未来に繋がる大切な記憶。
=終=