限りなく恋人同士という関係に近い間柄の二人には、喧嘩が絶えなかった。
「あの腰つきが……」
剣の師匠である男は、鼻の下を伸ばせるだけ伸ばして町行く人々を眺めている。特に女を。
いや、むしろ女だけを。
フィリシアは無言で足を持ち上げた。
くるりと体を回転させると男の腹部めがけて蹴りを入れる。
「っと、本当危ないな、お前は」
難なくそれを受け止めて、剣の師匠でありハープを自在に操る楽師――ディックはわずかに苦笑を漏らしてフィリシアを見る。
フィリシアの攻撃が彼に決まったのは過去にたった一回だけ。
本当に不意打ちで繰り出した股間蹴りのみである。
強烈に効いたらしいその攻撃以来、ディックの防御は完璧だった。だから余計に腹がたつ。
彼について習ったお蔭で剣術の腕をあげたにもかかわらず、攻撃の一切は感知され未然に防がれてしまうのだ。
彼は多岐にわたり、彼女の師匠でもある。
化粧も覚えたし――不本意ながら最近は色っぽいと噂され、実際に演舞に艶が出たとフィリシア自身も感じていた。
「あんまり妬くなよ。今晩可愛がってやるから」
くすりと笑って、彼は支えていたフィリシアの白い太股の内側に唇を寄せる。
「この色魔――!!」
とっさに足を引いて、下ろした足を軸にもう一度体を回転させる。
再び繰り出された蹴りは、今度は受け止められることなく空を切った。
ふざけた事を言った日の晩は本当に手加減しない剣の師匠は、剣だけを彼女に教えているわけではない。
己の体を最大の武器に世を渡り歩くのが踊り子だ。
ベッドで男を骨抜きにするのも踊り子の仕事――らしい。
好色に誘われたことなど数知れず。
そして、見事に口説き落とされて関係を重ねた事も数知れず。
「大っ嫌い――!!」
「じゃあここからは自由行動! またな、フィリシア!!」
爽やかな笑顔の下にものすごくいかがわしい妄想を抱きつつ、剣の師匠は片手をあげるなり瞬く間に大通りの人ごみの中に紛れていった。
彼は一流のハープ演奏者だ。
あの腕があれば宮殿のお抱えとして悠々自適に暮らしてもいいはずだ。
だが、そうはならない。
彼はいつも金がなく、金が入るはずの皮袋に埃をつめている。
初めはなぜなのだろうと不思議に思ったが、一緒に旅をして、その理由が嫌というほどよくわかった。
彼は金がないくせに気前がいい。
あればあるだけきっちり使う。
そして何より、女に弱い。
金を握らせると夜も昼も関係なく、女を口説きに行ってしまう。
あれではどんなに腕がよくても宮殿には入れないだろう。
「……ッ」
これはもう、病気のようなものだ。誰がなんと言おうとも、きっと一生治らないに違いない。
そんなことに気付いた途端、あんな男にいいように扱われているのかと無性に腹がたってきた。
「ディックのバカ!」
大通りの人ごみめがけ、フィリシアはあらん限りの大声で怒鳴り、驚く人々を無視して裏道を突き進み始めた。