【一】

 全身に痛みがはしる。
 少女は低くうめいた。体のあちこちが悲鳴をあげ、まともに動くことはおろか呼吸さえままならない。
 わずかな空気をなんとか肺へ送り込み、彼女は再び獣にも似たうめき声をあげた。
 がさりと、不意に空間が不快な音をたてた。
「っ……」
 物音を聞きつけ、かろうじて開いた双眸に人影が映る。
「誰……?」
 派手な服だと朦朧としながら思う。
 学園祭でさえお目にかかれない。ミュージカルでなら、見たことがある。確か舞台は中世ヨーロッパだったはずだ。
 痛みを忘れようと、無意識にそんなことを考える。
 長く伸ばされた銀の髪に切れ長の蒼い瞳。髪同様の銀の睫がその瞳に深い影をおとし、不思議な色合いを見せた。高い鼻筋に薄い唇――独特の甘さがない顔はけっして女と見間違う種類のものではなかったが、そこにあったのは絶世の美姫にもひけをとらない嫌味なほど整った美貌だった。
 そしてその身をつつむのは、瞳の色に合わせたのだろう美しい布に、金糸銀糸で手間隙てまひまかけて縫いこまれた刺繍入りの服ときている。
 柔らかな光沢を持つ生地が風にあおられて軽い音をたてた。
(……どこのバカ坊ちゃま?)
 眉をひそめ、自分よりはるかに年上の男を見つめて胸中で毒づく。
 せめて救急車の手配ぐらいしてくれてもいいだろうに。
 そこまで考えて、彼女は違和感に息をのんだ。
 救急車?
 それはいったい、何をするものだったろう。
 学園祭――。
 とても思い出深いはずのそれさえも、いまの彼女にはただの単語としてしか認知することができなかった。必死で思考をめぐらせていくうちに、違和感は刻々と増していく。
 血の気が引いた。
 どんなに考えても、何も思い出せなかった。
 彼女がわかるのは自分が無様にここに倒れていることと、目の前に見知らぬ男が手を差し伸べることなく彼女を見おろしている事実のみ。
 血の気が、――引いた。
「ここは……どこ……? 私は……」
 柔らかい風が頬をなでる。視界のはしで青々とした草が踊り、密林と表現するのがふさわしいような木々の葉を揺らす。大地を照らす木漏れ日が崩れると、少女の体を優しくつつんだ風は彼女を見おろしていた男のもとでふと掻き消えた。
 本来ならさぞ美しいであろう長い黒髪は無残に乱れ、半ばうつぶせるように倒れている彼女の黒瞳は激痛のためにすがめられている。
 男は表情を凍らせたまま指一本動かすことなくその姿を凝視した。
 倒れているのは、彼にとって奇妙な「異国」のにおいを漂わせる服を身にまとい、死のふちを彷徨う娘。
「なぜ、お前が生きている――?」
 呆然と男はつぶやく。
 深い水底を連想させずにはいられない見事な蒼い瞳は、ひどく当惑していた。

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