『サカモトリョーマの桜』




 海の香りがする道端での出来事です。


 そこには桜がありました。


 大きく美しい桜。


 さくら、さくら………






 どうも。びんぼーな美大生のサカモト リョーマです。
 坂本 竜馬っていう昔のお偉いさんと同じ名前で、初対面の人に名乗ると「本当に本名?」とか聞かれたりする。
 本名じゃないもんわざわざ名乗るかっつーの。
 まぁ、そんなカッコイイ名前を持ってるんだけど、別にカッコイイ奴じゃないっていうのはちゃんと言っておこう。
 別にカッコつけるためってわけじゃないけど、俺は今、1人で夜の海にいた。
 ちょうどコンクリ道からガードレール越しに下を見れば海が見える。
 後ろを振り返れば大きな桜の木が立っている。
 まわりに人はいない、夜中の古いコンクリート道。そんな場所。
 俺はそんな場所で一枚の絵を抱えて立っていた。





 数週間前は真っ白だった。





 どうも上手くいかない。描けない。
 描きたいものも見つからなかったし、上手く描ける気もしなかった。
 コンクールに出展しようと思ってたのに、ちくしょう。
 あーあ。ちょうど人生の下り坂かなとか思いながら何も描いてないキャンバスを部屋に残して、ビールを買いに行くために腰をあげる。
 上手くいかないときはやっぱりビールに限るよ、うん。
 24時間営業してるコンビニってホントに便利。夜中の2時に急にビールが飲みたくなってもすぐに買いに行けるし。
 財布をポケットにつっこんで、ボロアパートの階段を下りて、海が下に見えるコンクリート道を歩く。
 ちょうど海の上に建てられてるようなこの道は、滅多に人が通らない古い道。
 この道は夜に通るのが好き。この道には大きな桜がある。本当に立派な桜の木だ。
 夜桜を見るのはここが1番。皆、こんな辺鄙な道に桜があることを知らないんだなー。損な人たちだ。




 それにしてもちょっと寒い。俺、寒いの苦手なのに。
 やっぱりビールと一緒に肉まんを買おうと思って顔をあげる。
 と、珍しく前方に人影があった。こんな夜中に何してるんだが。
 少し不審に思いながら近づいていくと、人影がはっきりしてきた。




 すごく、キレイなお姉さんだった。俺と同い年かちょっと上くらいの、まだ若い、お姉さん。
 肌は白くって目は大きくて、唇の形がまさにソレって感じの美人。
 胸もちょうどよくふくらんで、ウエストは細くって、おしりに真っ黒い紙が垂れてる。
 長い髪。足も長い、んで細い。その足ははだしで、その足元には……ってええ?
 そのとき俺は初めて気づいた。お姉さんは全部衣類を足元に脱ぎ捨てていた。
 ……裸じゃん。
 そんな格好で白いガードレール越しに何メートルか下にある海を見つめているのを、俺はぼーっと眺めてた。
 白い肌を海の風が撫でるたびに、桃色の花びらが彼女にかかる。
 すごく、すごくすごくすごく綺麗だった。桜の花びらを浴びながら、お姉さんはそこに立っていた。



 突如、お姉さんがガードレールをまたいだ。
 そこで急に俺の頭が動き始める。まさか自殺っ!?
 お姉さんの体についていた花びらが体から落ちて、コンクリート道にぺたりと張り付く。
 お姉さんのキレイな足がスッと海のほうへ伸びた。オレは走り出してた。見過ごせない。
 だいたい、こんな綺麗な人が死ぬなんて世の中もったいなさすぎる!



 自己中な理由で走った俺は次の瞬間、お姉さんの腕を掴んでた。
 彼女はぎょっとしたように振り向いて俺を睨みつけてくる。
「はなしてください!」
 どこか関西弁ぽいアクセント。彼女は必死で俺の腕を振り切ろうとする。離すもんか。
 俺だってぐーたらな親不孝なやつだけど頑張って生きてる。
 目の前で自殺しようとしている人を放って置けるわけ無い。
 それに、ちょっと私情だけど綺麗な人が死ぬなんてもったいなさすぎ。
「うち、ここにおっても仕方ないんです!」
「んなことないって!まだ若いんだから!」
 そう言ってぐいと身を乗り出す。俺までぐらついた。
 ぐいぐいと彼女は俺の手をひっぱる。俺も道路側へ引き込もうと一生懸命に引っ張る。
 けど、このままじゃお姉さんはそのまま俺の手を振り切って海に落ちてしまいそうだった。
「かくなるうえはっ!」
 お姉さんの腕をひっぱったまま、俺もガードレールをまたいだ。
 痴漢扱いされるかもしれないけどしょうがないでしょーっ!
「ごめんね!」
 先に一言謝っておいて、俺はお姉さんの足の方にもう一方の腕を伸ばした。
 間接のところに腕を固定して、そのまま抱き上げる。
 お姉さんの体に残ってい桜が飛んだ。結構軽かった。



 深夜2時。今にも海に落ちそうなところで全裸のお姉さんをお姫様抱っこ。
     …多分、世界中の誰も経験してない。



「うちのことなんか放っておいて!」
 そう言って俺の腕の中でじたばたする彼女。ぐらりと俺の体が傾いた。
 俺は見知らぬ美人なお姉さんと、4月になったばかりの海に転げ落ちた。





 パーンッと威勢のいい音が響く。……頬が痛い。
 平手打ちされたのは、何とかコンクリの壁を登って海から上がり、元いた道路の上に戻ったとき。
「何するんですか!せっかく準備したのに邪魔して!余計なお世話ですわ!」
 じんじんする頬を押えながらずぶぬれの体を振るわせた。彼女は何かずっとまくしたてている。
「自殺はだめだって。」
 俺は小声で何とかそう言った。やっぱりこの季節の海の水は冷たい。しかも真夜中だし。
「自殺するつもりなんかありません!」
 プリプリしながら彼女は俺に背をむけて、自分の着物を恥らう様子も見せず着始める。
 彼女が着たのは赤い生地に白い花の散った美しい和服だった。
 でも、きちんとした礼服じゃなくてどっちかといえば昔の遊女さんぽい。
 えーと。
「名前は?」
 何か言わなきゃと思ってとりあえずそう聞く。
 ふわ、と彼女が振り返った。また桜が散った。
桜代さくらよ》です。」
 声はまだ少し怒ってるみたいだったけど、優しい笑みを見せた。うん、やっぱりこの人綺麗だ。



 彼女の着替えが終わったのをみはからって、
「何でこんなところに?」
 と切り出す俺。1人で器用にも帯を締め、長い髪をまとめてかんざし》をさす。

「人を探しておりました。会えないとわかっている人を。」
 囁くように彼女は話す。簪についた桜の形をした鈴が小さく小さくちりんと鳴った。

「会えないとわかっててどうして探すの?」
「彼はここにはいないし、いた場所に私は戻れない。それを知っていても、どうしてか探してしまうんです。
 何故探すのか、うちにもよくわかりません。」
「あのー。さっぱり意味がわからないんですけど…。」
 おそるおそる手を挙げると彼女は寂しそうな顔をして小首をかしげた。
「うちは人魚なんです。」
「…はい?……足あるじゃん。」
「人魚は人間になれる、いうて知りません?」
 確か声と引き換えに人間になるんじゃないっけ。って待て待て。
 自称人魚なお姉さん、頭おかしいんじゃないか?
「……本当に人魚?」
「はい。」
「…その喋り方と着物は。」
「昔に一度だけ、京都に行ったことがあるんです。着物はそのときのものです。人の言葉は坂本さまに教わりました。」
「坂本?」
「はい、坂本 竜馬さまです。海へ逃がしていただきました。」
 おいおい、ホントに頭おかしいってこの人。
「遊女として買われるところだったんです。坂本さまは私を救ってくださり、
 言葉を教えてくださり、人魚だと知ると海へ逃がしてくれました。
 もう一度会ってお礼を言いいたいのですが…。」
 ふう、と彼女はため息をつく。ひとつひとつの仕草がすごく綺麗だった。
 頭のおかしい人、と言ってしまえばそうなんだけど、どうも本当っぽい話だった。
 いや、そう言って通用するだけの雰囲気がこの人にはあった。
 コンクリ道が似合わない、現代の女とはどこか違う(着物を着ているせいかもしれないけど)、何か不思議な雰囲気がある。
 ふと、俺の頭の中に古ぼけたアパートの自室にある真っ白なキャンバスが浮かんだ。

 「…ねぇ、夜中にこんなところで立ち話もなんだからさ。俺の家に来ない?」
 桜代さんは軽く額にしわを寄せた。
 「うちは海に帰ります。ここにいる理由がないですから。」
 初々しい関西弁のアクセント。無理して喋ってるようにも聞こえた。
 ふいと俺に背をむけて再び海の方へと足を出す彼女の白い手を、思わず掴んでいた。

 不審そうな顔だけ彼女は振り返った。



「君を描きたい。」



 口がそう喋っていた。また真っ白なキャンバスが浮かんだ。
「俺、絵を描いてるんだ。君を描きたい。少しだけ、時間くれないかな。」
 彼女がどんな人でも構わない。例え人魚だとしても、頭のおかしい人だとしても、俺は描きたかった。
 彼女なら描ける気がした。あの真っ白なキャンバスに彼女を描けば、何か道が開けるような予感がした。
 彼女は呆れてるように見えた。だけどふっと微笑んだ。
「いいですよ。」







 その日から毎晩、俺は描いて描いて描きまくった。
 場所は俺の部屋じゃなく、コンクリ道の桜の下。彼女は桜の下に何時間も黙って微笑んで立ってくれた。
 すごく、絵になった。すごい、絵になった。
 俺が今まで描いたものとはまるっきり違う「絵」だった。



 彼女は夜になると桜の下にやってきた。必ずやってきた。昼間、どこで何してるのか知らなかったけど、
 彼女は必ずやってきた。







「桜代さん。」
「はい?」
「ホントに人魚なんですか?」
「疑っとるんです?」
「いや、そうじゃなくて。」
「?」
「―――ここにそうやって立っていると桜の木の精霊みたいだなぁって。」
「ふふふ。うちはただの人魚です。会いたい人に会いに来たけど会えなかった人魚です。
 人魚は悲しい生き物です。人の世界の近くに住んでるのに、交わることができない。できても後に残るのは辛い思いだけです。」
「……。」
「彼のこともそうでした。私は彼が好きで、もう一度会おうと決心してやって来たのに。
 人魚の世界と人の世界では流れる時間が違う。―――こうやってもう一度来たのに、会えなかった…。」
「……。」
「もう亡くなられてました。こんなにツライ思いをするくらいなら、好きになる前に海に帰るべきだったんですね。」





 ―――ある日。彼女は来なくなった。





 理由は簡単。俺の「絵」が仕上がったから。「絵」は泣きたいくらい上手に描けたけど彼女はいなくなった。
 それで、今俺はここにいる。
 キャンバスを持って、海を見下ろしていた。




 ―――――もう亡くなられてました




 そう言って笑った彼女の顔は、見ていて胸が痛かった。切なくて、あまりにも悲しすぎる顔だった。
「桜代さん。」
 絵の中で、桜の下に佇む彼女に話し掛ける。
 夜の闇の中、桃色の桜と彼女の白い肌、そして赤い着物がとても鮮やかだった。
 木の幹を触るその指も、白いうなじも、どこか遠くを見ているようなその目も、全部、綺麗だった。
「ありがとう。凄くいい絵が描けたよ。これで絵描きとしてやってく自信がついた。」
 ただ、俺は絵描きで彼女がモデルだったというだけ。
「ありがとう。」
 独り言なんて我ながら性に合わない。
 そう思って1人で笑った。そして、絵を海に投げた。コンクールに出展するつもりで描いてた。
 けど、完成した今、そんな気はさらさらなかった。どうしてだろう。



 「絵」が海の上でふらふらと漂って、だんだん遠くなって行った。
 彼女の体が水で濡れる。桜が濡れた。
「またね。」
 俺は二度とこんな「絵」は描けない。あんなに綺麗なモデルにも出会えないだろう。

 そして彼女にも会えないだろうと思う。
「ばいばい。」
 彼女は沈んだ。








 数年後、海を覗いたらあの絵があった。
 俺は絵描きの端くれになって、何とか食ってける暮らしだった。
 沈んだはずのあの絵が浮かんでいた。空は青い、太陽は高い、まだ昼間の桜道。
「嘘。」
 慌ててガードレールを乗り越える。躊躇わず海に飛び込んだ。少し、冷たかった。
 絵は全く変わりない姿でそこに浮かんでる。
「嘘だろ。」
 思わずそう呟いて絵に手を伸ばした。






 マタ、アイマショウ。





 俺は絵に刻まれた小さな文字を見た。
 マタ、アイマショウ。



 また、と俺は口の中で呟いた。
 また、また、また。―――また。
 桜が舞い散り落ちる。そして、海の水の中に溶けていった。



 ―――また、リョーマが彼女と会うのは、また、別の話。


メイ様著 『サカモトリョーマの桜』 完      
 



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