イナキとダリア   〜魔王様の恋人 閑話その四〜
 
     【後編】

 手の届く位置に近付くなと言われた。
 顔は笑っていたのに、その口元はまったく笑ってなどいなくて淡々と、ただ淡々と。
「貴様、やっぱり水晶の見立てが間違っていたなどと戯言ざれごとをぬかす気か!?」
 ダリアは抱き枕を振り回しながらヴェルモンダールの部屋に怒鳴り込んだ。彼はこれから魔界へ帰るらしく、光沢のいいローブとマントを身につけ、宝石をちりばめたド派手な黄金のベルトに剣を固定していた。
「何の話ですか?」
「イナキに近付くなと言われたという話だ!!」
 簡潔に答えてやると、ヴェルモンダールは不可解だといわんばかりの表情をした。
「貴様、私の側近なら一から十まで把握しろ!!」
「無茶をおっしゃらないで下さい。痴話喧嘩の相談相手をしている暇はないのです」
「痴話になりたいわ――!!」
 微妙にずれた思考で叫ぶ。
 ようやく大きく進展した関係が、今度は完全に後退した。それはなぎさが二人の関係を知っていたという事実からのようだった。
 武蔵家の第二の母とも言える彼女は、発言権も大きいらしい。
 なにがどうなっているかはわからないが、結果的に彼女から抑制を受けていることになる。
「でもなぎさは好きなんだ!」
「……順をおって話す気はありますか?」
「話しているだろう! ラブラブなのがなぎさにばれて、イナキが近付くなと言ってきたんだ!」
「ああ」
 なるほどと、ヴェルモンダールは言葉を続けた。色々端折はしょったその説明でも何とか理解してしまうあたり、たいした男なのかもしれない。
 しかしすっかり頭に血がのぼったダリアは涙目でのんびりと構える側仕えを睨みつける。
「なぎさ殿は別れろと?」
「それは知らん!」
「……そうでしょうな」
 ヴェルモンダールは大きくひとつ頷いた。
「どちらかというなら、協力してくれているようですし」
「じゃぁなんで離れるんだ?」
「イナキ殿にうかがえば宜しいでしょう」
 ぐっと、ダリアは押し黙る。
 一応、勢いに任せて聞くだけ聞いたのだ。
 しかし聞きかたが悪かったのか、なんとなく納得のいかない言葉が返ってきた。
 そう、ダリアにとってはどうしても納得のいかない言葉。
「六年も待てるか!?」
「……六年?」
 イナキがそう言った。触れ合いたいなら、あと六年待てと。神妙といえば神妙な、どこかあきらめにも似た表情で静かにそう言った。
「そうしたらちゃんと親に言うとか、一緒に行くとか! なぜそうも回りくどいことをする!?」
「……ダリア様」
「なんだ!」
 鼻息も荒くヴェルモンダールの顔を睨みつけると、彼は眉間を親指と人差し指でゆっくり揉みほぐしながら大きく息を吐いた。
「痴話喧嘩に付き合っている暇はないと、私はそう申したはずですが?」
「だからこれのどこが痴話喧嘩だというのだ!?」
「全部が全部」
「さっぱりわからんわ!」
「それを自慢げに言われても困るんですがね」
 もう話は済んだとでもいうように、ヴェルモンダールは身支度をすすめる。
 手際のいい側仕えに苛立ちを感じていると、彼はいったん動きを止めてダリアを見た。
「それよりもダリア様、イナキ殿は小学校を卒業されるではありませんか」
「当然だ」
 何をいまさら言っているんだと柳眉を寄せる。
 学校では卒業式の練習まで始めている。ヴェルモンダールもそのことはよく知っているはずなのに、それをこんな切迫した時にわざわざ話題に出さなくてもいいだろう。
 ダリアが不機嫌な顔をヴェルモンダールにむけると、彼はゆったりとした口調で言葉を続けた。
「中学校へ進学したら、薔薇色の学園生活が消えますな」
 ダリアは、はたりとして目を見開く。
「……」
「……」
「……ヴェル……それは初耳だ」
「の、ようですな」
 ダリアは小学校の教員免許のみを取得している。ただしそれは、自力で取ったものではなくちょっとした裏工作の末に手に入れたものだ。
 中学校へ進級したら、小学校教諭であるダリアはイナキと離れ離れになってしまう。
 ようやくその事実に気付き愕然と立ち尽くすと、手をうったほうがいいですよと適当な言葉を残して側仕えはあっさりと魔界へ帰っていった。
 残されたダリアは途方に暮れる。
「……また誰かの知識を拝借するか……。今度は若い教師のにしておこう」
 前回はイナキのクラス担任の知識を拝借したのだが、高齢だったせいかただの変な趣味だったのか、なんとなく言葉や思考が爺臭かった。
 だから次は若い教師の知識を拝借して、少しでもイナキとつりあうようになろうと心に決める。
「完璧だ」
 付け焼刃の結論に達し、大きく頷いてから抱き枕を抱えたまま踵を返す。
「しかし六年も待てんぞ、六年も」
 拝み倒して口説き落として、なんとか触れ合える距離まで近付こう。
 廊下でしばらく抱き枕を見詰めて、三歩前進して隣にあるドアを見た。一秒でも早く会いたいためにイナキのもとに座標固定で移動するダリアは、ドアの前で約二分間悩んだすえに小さくノックしてそのドアを開ける。
「イナキ、折り入って話があるんだが」
 ベッドの上で分厚い本を開いていたイナキが視線をあげる。
「……六年の意味、考えた?」
 懇願する前に問いかけられ、ダリアはきょとんとイナキを見詰めた。
 六年の意味。
 その長さばかりに気をとられていたダリアは小首を傾げながらドアの隙間からイナキの様子を窺い見る。
 イナキは溜め息とともに手招きした。
 どうやら近付いてもいいらしい。呼んだという事は、手の届く位置まで行ってもいいのかと真剣に考えながら彼の目の前に立った。
「六年待てる? 待てない?」
 イナキが真剣に聞いてくる。
 いつもなら即座に待てないと答えるところだが、彼の目が明らかに待てと言っている。その数字にこだわる理由もよくわからないが、ひとまず彼が待てというのなら待つしかない。
 これは新手の拷問かと心の中で問いかけながらダリアは頷いた。
「待つ」
 そう答えると、ふっと彼が笑った。
 どこか嬉しそうな笑みに困惑する。自分にとっては足枷にしかならない言葉をなぜ彼が喜ぶのかわからない。
「で、六年待ったらどうなるんだ?」
「……もういい」
 真剣に問いかけると、心底呆れたような答えが返ってきた。
 なんだか理不尽な気がする。まだ色んな知識が足りていないのはイナキだって知っているはずだった。
 だが今は六年後より目の前の大問題を何とかしなければいけない。
 手の届く場所に近付くなと言われたのを律儀に六年間も守る気は毛頭ない――しかし、あからさまに約束を破るのも気が引ける。
 ここはイナキに妥協してもらうのが一番いい。
「イナキ、ばれなければいいんだろ?」
 なぎさに関係を知られて触るなと言われたなら、これからは誰にも気付かれないようにすればいい。
 四六時中べったりしていたいが、それでイナキが不快な思いをするならそう思わなくてもすむように工夫することが第一だ。
「……ばれないようにできるの?」
 ものすごく疑わしそうに問い返される。
「もちろんだとも」
 ハッタリだって時には必要で、一度うんと言わせればこっちのものだ。キュッと腕の中の抱き枕に力を込めると、イナキは小さく頷いた。
「じゃぁ二人だけの時はね」
 溜め息とともにそう言った彼を、ダリアは抱き枕ごと胸にかき抱いた。
「ダリア!?」
 勢いのいい恋人を受け止めきれずにイナキはそのままベッドに押し倒される。そして苦笑を漏らしながらその手をダリアの肩に回し――
「イナキちゃん、ごはんだよ〜」
 ドアを開けたなぎさに硬直した。
「……あ」
 なぎさは間抜けな声を発してから、
「お邪魔様でした」
 そう言ってぺこりと一つお辞儀をしてドアを閉めた。
 シンとした室内で、ヤバイだのマズイだのという言葉を思い浮かべる。たった今した約束が、すでに破られている。
「……ダリア」
「精進する!」
 なにを言うかを予測して、ダリアは瞬時にそう答える。
 体を起こしてうんうん頷くと、イナキは嘆息して言葉を続けた。
「……結婚できる歳までは誤魔化すの協力してよ?」
「了解だとも! 結婚までだな! ……けっこ……!?」
「うん」
「前提のお付き合いか!」
「……まぁ」
 微苦笑で頷いた彼の顔を確認してダリアは立ち上がった。
「さっそく言ってくる!」
「……え?」
 朗報だ、とダリアが頷く。
 こういう場合の報告は、イナキの両親を前にして言う言葉があるはずだ。
 結婚する娘が言うにふさわしい言葉。
 こういう時のためのとっておきの言葉が。
 収集済みの知識をフル稼働させ、ピンとひらめいてダリアは踵を返した。
「三つ指ついて、ふしだらな娘ですが宜しくお願いしますとご挨拶にッ!」
「それを言うなら、ふつつか! って、オレの話聞いてないだろ!?」
「聞いてる! 祝儀が楽しみだな!」
 ドアに突進すると、慌てたようにイナキがダリアを止めようとしがみ付いた。
「ちゃんと順序を踏むぞ、イナキ」
「だからオレの話聞け!」
 聞いてる、聞いてる。
 やはりウエディングドレスは黒だろう。可愛いチャペルなる場所で挙式もいいが、海外挙式も捨てがたい。
 新居は海が見えるコテージで、ゴールデンレトリーバーを飼って毎日パラダイスな感じに過ごす。
 夜は満天の星を眺めながらロマンティックに――っと言うのもなかなか悪くなく。
 イナキを引きずったまま妄想にふけっていると目の前のノブが勝手に動いてドアが開いた。
 唖然としてダリアとイナキが息をのんだ。
「……色々言いたいんだけどね」
 ドアを開けた主はポニーテールを揺らしたまま苦笑して、ダリアにしがみ付いたイナキと、際限なく緩んだ顔のままドアに手をのばして硬直したダリアを交互に見た。
「男の子が結婚できるのは十八歳からだよ」
 もっともらしくそう意見して、ぱたりとドアを閉じた。
「……イナキ、私はなぎさを大物だと思う」
「かもね」
 くびれたウエストにしがみ付いていたイナキは、脱力して深く溜め息をついた。
「それで六年間待たねばならんのか?」
「うん」
「待つか〜」
「そうしてくれる?」
 イナキの問いかけにガックリ肩を落としてダリアは頷いた。
「せっかく明るい家族計画まで予定に入れていたのに!」
「………ダリア」
「うん?」
「当分近付くな」
「なぜだ――!!」
 パッと離れてそう言った彼女の未来の夫は、本当に一週間、微笑みながら彼女を避け続けた。
 以降魔王様は、ほんのちょっぴり学習することを覚えた。

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