第1話
あたりには暗雲が垂れ込めていた。
雷鳴がとどろく天空には、槍を片手に大きな黒翼を広げて飛び回る悪魔がいる。
魔界が生まれたとされる年から数え、もっとも長かったと言われる乱世が一人の男によってようやく治められようとしていた。しかし、魔界でも最下層にあたるこの場にはあまり関係がない。
腐り果てた大地には草木はなく、ただ腐臭を放ちながらぬるりとした不快な感触だけを伝えてくる。
時折、肉体を失った悪魔が屍を寄せ集め、命を求めてゆらゆらと歩き回るような場所。
そこにひとつの命が生れ落ちる。
女たちは我が子を抱いたうら若き娘の周りにたかってニヤニヤと粘つくような笑顔を見せた。
「ねぇこの子」
女たちは娘が抱く子を覗き込み嘲笑を浮かべた。
娘を取り囲む女たちの容姿はまるで統一感がない。
コウモリのような黒く筋張った羽を持つ女がいるかと思えば、長く太い尻尾を持った女がいる。全身がびっしり毛で覆われた女、とがった耳、鋭い牙に角。
肉食動物のような瞳を持つ者もいた。肌の色も、髪の色も瞳の色も、やはり統一感の欠片すらない。
しかし、男を誘惑してやまない見事な曲線を描く肢体や蠱惑的な表情は、個々の容姿がどこか獣じみているにもかかわらず似通っていた。
全裸で過ごすのが常の彼女たちは淫魔と呼ばれる。
雌雄同体である彼女たちの多くは女性体――つまり、サキュバスとしてすごす。そちらのほうが魔界でも人間界でも都合がいいからだ。
サキュバスとして人間界に降り、夢で男を誘惑し精を採って、その精を
それが彼女たちの仕事。
快楽が至高の彼女たちにとって、その一連の作業は日常の一コマであり、食事をするのと同じくらい自然の行為でもあった。
彼女たちは交雑で子を儲けることが少ない。
性をもてあそぶ彼女たちはその行為自体を軽視する傾向があり、交雑で子を成しにくい別の問題もいくつかあった。
ゆえに、生まれた子のほとんどは自家受精によってできた彼女たちの分身で、雌雄同体の淫魔となる。
分身であるなら容姿がもう少し統一されてもよさそうなものだが、魔界の瘴気と血が近すぎるために、生まれた子のなかには突然変異で母親とはまったく異なる姿で生まれる者も多かった。
ただ、それにも限界がある。
「ねぇアンタのその子、人間の子?」
長く伸びた爪で、サキュバスの一人が赤ん坊を指差した。
「人間の子だね」
「本当、人間の子。よりによって」
軽蔑するような笑みに、娘は生まれたばかりの子を隠すように身を丸める。
「違う……」
震えるような声で否定すると、そこに集まった女たちは声をたてて笑った。
「その子、翼もシッポもないじゃないの。人間の子でしょ?」
嘲笑。
交雑で生まれた子は、父親の容姿を継ぐ傾向が多い。けれど、彼女は確かに自家受精でその子を宿して産んだ。
交雑で宿った子は、長い間母体に留まり続けるのだ。若い彼女が交雑で子を成したのではないことなど、誰の目から見ても明らかだった。
しかし、彼女の腕の中で眠る子は、女たちが疑っても仕方のない姿だった。
白く柔らかな肌には体毛がなく、耳がとがっているわけでもない。翼も尾も、何一つ淫魔らしい外見を備えない我が子。
しかも。
「その子、両性具有じゃないんでしょ?」
「女だなんて――おかしい」
「人間の子よねぇ」
「サキュバスが人間の子供を生むなんて」
嘲笑う声に耐え切れず、娘は
子を育てる間、独り立ちしたあともきっと同じ事を言って嘲笑うに違いない女たち。陰湿なその姿は容易に想像がつき、愛情という愛情が欠落している一族に生まれた彼女は、我が子を抱きかかえたまま女たちの波を掻き分けるようにして走り出した。
「こんな子、いらない」
気紛れに産んだ子だった。
「こんな子欲しくない」
人と同じ姿を持った、淫魔の出来損ない。
長く続いた乱世が終わると見越して次々と子を産んでいった仲間を見て、自分がまだ若すぎることは知っていたが、産んでみようかと思っただけの子供。
愛情なんてものはない。
そんな感情で仲間を増やすことのない淫魔は、種の保存のためだけに繁殖を繰り返す一族だった。
そして、雌雄同体ですらない子は、すでに淫魔とは言えない生き物だった。
「こんな子、あたしの子じゃない」
無我夢中で仲間のいない場所まで走り、彼女はその子を地面へと置いた。
腐臭を放つ大地が赤ん坊を柔らかく受けとめる。へその緒さえ切られていない小さな命は、わずかに身じろぎをした。
このまま捨てておけば、腹をすかせた魔獣が後始末をしてくれるだろう。
仲間には、あの子は死んだのだと言っておけばいい。
子供はまた産みなおせばいい。
すやすやと眠る我が子を