番外編 乙女は苦悩する
1
町はすっかりクリスマスカラーである。
一ヶ月前の狂乱が嘘のように九十九市は日常を取り戻していた。とはいえ、町の一角で謎の体調不良事件が起こったり、突如として事故が多発する交差点が現れ人知れず消えたりと、町中がすっかり知る人ぞ知る<Iカルトスポットになっていた。
「……見えない」
そう言って首をかしげるのは刻子である。よくないモノがいるのではないかと探してみるが、違和感を覚えても視覚で捕らえることができないのだ。
「ときちゃんもとうとう大人になったってことだね!」
「笹岡、卑猥な言い方するな」
金之助がほろりとする佐々子の額に軽く手刀を入れた。
「なにをするんだ、金ちゃん! ときちゃんの力は子どもの頃だけなんだぞ。使えなくなったってことは、お赤飯の出番じゃないか!」
「役目が終わったとか、もっと言い方あるだろうが!」
学校帰り、三人で繁華街を歩いていたら、相変わらずのテンションの高さで落ち込むタイミングすら奪われてしまう。
「役目、か」
あの騒乱で、一体なにができたのだろう。怪異は倒せず、白旺と半神を犠牲にし、水狐も、古賀の娘も、誰一人守ることができなかった。
それなのに――。
パアンッと大きな音がして、刻子はわれに返る。
「ってえなあ! なにするんだよ!?」
「知らないのか、金ちゃん。背中を叩くと悪霊を祓うことができるんだよ!?」
「そうじゃなくて! いきなり叩くなよ!」
「人が多いと憑かれやすくなるじゃないか。そして出るんだよ、金ちゃんお得意の霊障が!」
「だから技みたいに言うなって。……って、あれ、山際じゃないか?」
金之助が指さしたのは、ドラッグストアの駐車場にいる雅だった。虫でもいるのか、アスファルトをぐりぐりと踏みにじっている。
「本当だ。雅くーん! って、薄着だけど寒くない!?」
長袖とはいえ真冬に着るのは厳しそうなランニングシャツに、タイツとジョギング用のパンツを合わせただけの雅の軽装に、佐々子がぎょっとしている。
「お帰りなさい。走ってるとそれほど寒くないですよ」
雅は笑いながら首に巻いていたタオルで汗をぬぐう。その姿に佐々子が小首をかしげた。
「雅くん、なんか大人っぽくなった?」
「え?」
「身長伸びた? 声も低くなってるよね? いやでも、一番変わったのは雰囲気かな。なんか前より落ち着いた感じ」
「――そうですか?」
確かにここしばらくの彼の変化はめざましい。以前は美少年と表現して差し支えないほど可憐な容姿だったのに、今はそれに精悍さが加わっている。細身なのは以前と変わらないのに、佐々子の言う通り、雰囲気がガラリと変わったのだ。
「ふ、ふ、ふ、ふ。お赤飯かい? お赤飯の出番なのかい?」
手をワキワキさせる佐々子に雅がたじろぐと、金之助が自分のマフラーをはずしてさっと佐々子の首に巻いた。そのままずるずると佐々子をひっぱっていく。
「お前はどこのおばちゃんだ。行くぞ」
ふっと思い出したように足を止め、金之助が振り返った。
「頑張れよ」
短いエールに雅は目を丸くして、すぐに破顔して「はい」とうなずいた。
「せっかくだし店に入るか! 弟たちにプレゼント買ってやらないとなあ」
「なに!? 私にプレゼント!?」
「笹岡の耳は飾りか? いつお前が俺の弟になったんだよ?」
ぎゃあぎゃあと言いながら歩いて行く佐々子と金之助の背を追った刻子は、途中で立ち止まってくるりと振り返り雅に手をふった。「あとからお店に行くね」と唇の動きだけで伝えられ、うなずいてから佐々子たちの隣に並んだ。
2
そして数時間後、刻子は二つのプレゼントを手に入れた。
一つは写経に打ち込んでいる雅に、深く鮮やかな青色のインクとともに指にしっくりと馴染む青い模様も繊細なガラスペンを。
もう一つはぼろぼろのカバンを大切に使っているジャンに新しいものを。
「ときちゃんは実用的だねえ。もっとこう、いろいろあるだろう。あえて迷惑なものをプレゼントして相手の愛を推し量ったりとか!」
どこの宴会に乗り込むつもりだと問いただしたくなるピコピコハンマーを持った佐々子が意気込むと、
「遺恨を残すような提案するなよ」
ピンクなゲームソフトを手にした金之助がボソリと告げる。
「……金ちゃんは弟たちへのプレゼントを選んでいたんじゃないのかね?」
ちらりと佐々子に手元を見られ、金之助が後退った。
「う……っ」
「露出度最多のゲームなんて、遺恨だらけのチョイスじゃなかろうか」
「ほ、ほしいものを訊いてから買ってやることにしたんだよ!」
「最近のサンタさんは生皮だねえ」
「うっせ!」
希望通りのものが買えて機嫌のよかった刻子は、言い合う二人にくすりと笑う。結局、弟たちへのプレゼントを後日買うことにした金之助たちと別れ、刻子は帰路についた。
帰宅したとき、古賀食堂はすでに開店準備をはじめていた。
「ジャンは?」
「買い出し。もうそろそろ帰ってくるんじゃないかしら」
答えたのは取り皿を準備するはる子である。彼女は刻子の手元をちらりと見た。
「なあに? プレゼント?」
緑と赤の派手なラッピングは不動のクリスマスカラーだ。刻子はカバンごと袋を抱きしめた。
「ジャンに?」
「み、雅にもちゃんと買ったから!」
赤くなって答えると「ふうん」と素っ気ない返事がくる。さっさと着替えてしまおうと足早にはる子の後ろを通り過ぎると、
「でも、その頃にはジャンは日本にはいないのよねえ」
思いがけない一言に刻子は立ち止まった。
「日本にいないって……」
「ずっとイタリアに帰るって言ってたでしょ?」
はる子の言う通り、ジャンはイタリアに帰ると言っていた。トラブルも収まったし、帰るなら今がチャンスだろう。そうわかっているのに動揺で心臓がバクバクしてきた。
疑問が胸の奥にくすぶっている。
イタリアに帰ったジャンが、果たして無事に日本に戻ってこられるだろうか。
過去に一度、彼はイタリアに帰っている。
そのときは戻ってきてくれた。だから信じて待っていればいい。そう思うのに、ぬぐいきれない不安がある。それはジャン自身の過去であり、悪魔であるクロの存在――そして、ヴァチカンという、刻子の知らない世界そのものだった。
もし、ジャンが戻ってこられないような事態になったら。
もし、連絡すら取れない状況になったら。
「あ、あの、お母さん……」
ジャンについていきたい。
だが、そう切り出すことができず、刻子はぐっと唇を噛んだ。「なんでもない」と言葉を取り消すと、きょとんとしたはる子がエプロンで手を拭きながらカウンターの奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。
「はい、これは刻子に」
そう言って渡されたのは、飛行機のチケットだった。
行き先はイタリアだ。出発日は冬休み初日、何度見ても間違いない。チケットを裏返し、指でこすり、呆気にとられたまま顔を上げる。
驚きすぎて声も出ない刻子に、はる子が腰に手をあてて苦笑していた。
「心配なんでしょ。一緒に行ってきなさい」
「で、でもっ」
ついていきたいとは思ったが、いざ背中を押されると躊躇ってしまう。
「ジャンと二人でって……っ」
日帰りで出かけるのとは訳が違う。刻子に好意を持ち、刻子もまた好意を持っている相手と二人きりで長期旅行というのは、あまりにもハードルが高すぎる。
「刻子は男っ気が全然なかったでしょ? 雅くん以外に親しい男の子はいなかったし、お母さんちょっと心配してたのよ」
はる子の指摘に刻子はぴたりと口を閉じた。
男っ気どころか高校に入るまで親しい友人がいなかったのが刻子である。周知の事実とはいえ、それを改めて指摘されるのはさすがに恥ずかしい。
「ジャンは外国の人だし不安がないって言えば嘘だけど、人となりも知ってるし、なによりあんたを大切にしてくれるでしょ。だったら大丈夫よ」
生放送中にプロポーズしてきた神父は、今やすっかり古賀食堂の看板息子だ。人となりどころか彼の趣味や嗜好を皆が完璧に把握している。
刻子にべた惚れなジャンが無体なことを働くなんて考えられないと、はる子は確信を持っているらしい。
真っ赤になって押し黙る刻子をよそに、はる子の鼻息が荒くなった。
「それに! Wウエディングもいいかなって思ったりしたわけよ、お母さんは!」
誰と誰の結婚式なんだと問いたいが、怖くてとても訊けなかった。
「お、お父さん! お母さんが変なこと言い出した!」
刻子が叫ぶと、泰造はさっと顔をそむけて両耳を押さえた。おまけにしゃがみ込んで呪文まで唱えはじめた。
「聞こえない、聞こえない、聞こえない」
「お父さん――!?」
そうしてジャンの知らないあいだに二人だけの旅行が着々と準備されていくのであった。
=了=
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