「ねー、それでどうだった?」
 寒空の下、容赦なく体温を奪っていく冷気に肩を震わせた神無の背へ桃子の弾む声が当たる。振り返るといかにも内緒話然とした彼女の顔が視界いっぱいに飛び込んできて、昨日の響との取引を思い出した神無は緊張に身を固めた。
「どう……?」
「木籐先輩のことに決まってんじゃん。邪魔しちゃったしさ、やっぱ気になるよ。で、どうだった?」
 好奇心剥き出しの瞳がどんな答えを望んでいるかをさとり、神無は彼女の期待を否定するように勢いよく首をふった。そっちのことかと安堵する反面、レコード室の華鬼の行動を鮮明に思い出して気恥ずかしくなる。しかし、あの時の華鬼が異常だっただけで、自宅での彼はやはり相変わらずだった。むしろ、徹底的にさけられた感があり、神無はまともに話しかけることすらできなかったのである。
 いつものことと言われればいつものことなのだが、昼間の積極的な行動のお陰で桃子にはすっかり誤解されているらしい。
「照れなくてもいいじゃない」
 なんとか誤解をときたいのだが、まるでとりあう気もなく桃子が神無の肩を叩き、雪像の土台となる不恰好な骨組みの近くを指差して、
「だいぶ集まってきたよね」
 と同意を求めてきた。広い校庭のいたるところに大量の雪が小山となり、なおも規模を拡大している。
「足場組み手伝おっか」
 専門の業者も介入しての作業だが、一目で彼らが鬼の一族だとわかり、神無は少し緊張する。広げられた図面通りに組み立てられた足場のかたわらには、もともと予定された機材のほかにバスケットボールやバレーボール用のネット、竹刀などが置かれていた。
「チャキチャキ働けよ!」
 雪像づくりに関しては細かい規定がないらしく、なにを使ってどう作ろうとも、最終的な形態さえ「形」になっていれば非難はあびない。逆に創意工夫は高く評価されるとのことで、最下位の「景品」を譲渡されたくない室長は妙にやる気を出しはじめている。
 カマクラ班が順調に作業をすすめているのも、室長がやる気になっている理由らしい。不恰好なカマクラを眺め、その数の多さに驚いていると、
「個数や着想も採点対象なんだってさ」
 呆れて桃子が肩をすくめた。
「なんかね、当日はあそこ、デートスポットになるらしいよ。キャンドル持ち込んだり花かざったり、ちょっとした隠れ家みたいな感じになるんだってさ。五段階評価の紙くばって利用者に採点させるってウワサ」
 なるほど、それなら数を作ったほうが有利に違いない。納得しながら桃子に引きずられるように歩いていた神無は、その途中で見覚えのある人影に目をとめて立ち止まった。
「神無? どう……ああ、執行部の」
 同じ方角を見た桃子は小さく声をあげた。
 二対の視線の先には中肉中背、鬼の血を色濃く継いだ男と、丸メガネの小柄な少女がいた。二人は次々と生徒たちに声をかけ、少女が何事かを口にすると、対峙した生徒はぎょっとし、かたわらにいる男がノートにペンを走らせるという謎の行為を繰り返していた。
 桃子と顔を見合わせて首を傾げていると、二人の執行部員が神無たちに近づき、立ち止まってわずかに視線を交わした後にふたたび歩をすすめた。
「朝霧さん?」
 名を呼ばれて驚くと、鬼頭の花嫁の、と重ねて問われた。神無自身の知名度は皆無だろうが、彼女の鬼である華鬼は一族の頂点に立つ男なのだ。初対面で記憶されていてもおかしくないだろう。同時に、この質問を投げかけてくる時点で、丸メガネの少女も鬼の関係者――鬼の花嫁だと判断できた。
「私、執行部書記の今井万里、彼が」
「会計の都村涼です。んー、噂どおり物静かな女の子だねぇ」
 涼が微笑んでそう口にするなりペンをかまえると万里の丸メガネがキラリと光る。中指でややずり落ちたフレームを押し上げるなり、彼女はいくつかの数字を告げてにっこり微笑んだ。
 なんとなく耳馴染みのある数字だと思った直後、神無は真っ赤になって後退した。とっさに体を隠すようにひねったのを見て、執行部員は不自然なほど爽やかな笑顔になる。
「神無? どうしたの?」
「い、いまっ」
 桃子に詳細を告げる前に万里が再度数字を語り、それを耳にした桃子も数秒の間をあけて真っ赤になった。
「えっと、あなたが土佐塚さん?」
「そうですけど! ってか、なんであたしのスリーサイズ……!!」
「ふふふ。一目見れば身長、肩幅、バスト、ウエスト、ヒップは言うにおよばず、足首からふくらはぎのラインにかけての曲線を一発検索で太股まで採寸し、手の肉付きから手首に至る流れを見れば我が統計表から」
「あーつまりね、万里は採寸マニアで」
「マニアとは失礼な。脂肪率まではわからないけど、着衣したままほぼ完璧なデータをはじき出す脅威の能力をそんな言葉で片付けないで欲しいですね」
「自分で脅威の能力とか言っちゃうかなぁ」
 苦笑する涼と胸をはる万里の姿を呆気にとられて見ていた桃子は、瞬時に正気に戻って二人を指差した。
「セクハラ!」
「ノンノン。これはダンスパーティーに着るドレスの採寸でーす。より完璧に、よりゴージャスに!!」
 握り拳で力説するメガネっ子は、さらに言葉を続けようと口を開き、すぐさま閉ざして首をひねって近づいてきた人影を舐めるように観察し数字を告げる。視線を追った先には白衣の上から防寒服を着た麗二がきょとんとして立っていた。
「なに?」
 麗二の影から姿を現した水羽も同様に目を見開くと、万里はすぐさま数字を読み上げて微笑んだ。脅威の能力というより、防寒服を着込んだ状態から採寸するなど、すでに人間離れしているとしか言いようがない。
 しかも、神無が逃げ出したくなるほど正確な数字を並べてくる。
「どうしたの?」
 青くなる神無と桃子を見て水羽が怪訝な顔をした。
「ちょっとダンパ衣装の採寸を」
 すかさず万里が答え、言葉を続ける。
「おすすめチョイスなら、高槻先生はラメ入りスーツ、朝霧さんは真紅のドレス、土佐塚さんは意外にスタイルがいいんで、こう、胸元のがっぱりあいた黄色のドレス、あとは純白ドレスで」
「ラメ!? って、私も出るんですか!?」
「あ、赤……っ」
「がっぱりって何よ!?」
「いや、あとの純白ドレスって、あとってボクしかいないんだけど」
「それじゃそういうことで!」
 言うだけ言って抗議の声には耳を塞ぎ、さっさと逃げ出そうと踵を返した執行部員に二本の腕が伸びる。麗二と水羽、それぞれにつかまれた執行部員は、肩をすくめて小さく舌打ちした。
「規定では希望を訊くはずですが?」
「それやると面白味のない衣装ばかりが並んじゃうんですよ、先生」
「規定でしょう。この年でラメ入りスーツは着たくありませんよ、私は」
 涼の肩をつかんで麗二が張り付くような笑顔で主張している。
「ボクも反対だなぁ。執行部の余興に付き合うのも楽しそうだけど、神無とパートナーのボクがドレス着てどうするのさ」
「あ、じゃあ朝霧さんがスーツっていかがです?」
 これは万里の案である。目くじらを立てる麗二と水羽の表情が一瞬で変化した。
「それは、……ええ、なかなかいい考えですね」
「見たい気もする」
 つられそうになる麗二と水羽に今度は神無が焦って拒絶した。確かに身長差がさほどないから、パートさえ覚えればそれなりに見られる物にはなるかもしれない。しかし、まず水羽をささえるだけの腕力が神無には不足している。なにより、そんなことで目立つのはどうあっても遠慮したい。
「私は、赤いドレスで」
 まだこちらのほうがマシだと思って心にもないことを口走り、
「赤いドレスも見てみたいですねぇ」
「髪アップにするよね? 楽しみー」
 幻想を抱いて微笑む男たちに激しく後悔して神無は項垂れる。桃子も不満そうに眉をしかめていた。
「あたし、普通に地味なのがいいんですけど。別にスタイルよくないし」
「おや無自覚? ウエストもう少し締めればかなりナイス・バディですよ。身長がもう少しあったらドレスが映えて理想ですが、土佐塚さんあたりは男性が一番好む体型です」
 しれっと万里が告げる。
「最近は痩せすぎちゃってダメなんです。ドレスが似合う体型ってデコルテが美しく、タッパがあって適度に肉付きがいいメリハリバディで、同時にセックスアピールも強烈な女性がより魅力的に見え」
「万里万里、皆ひきまくってる」
「おや」
 肩を叩かれてから、万里はようやく力説するのをやめる。こだわりがあるらしいという事がはっきりとわかった神無は、ふと湧いた疑問を口にした。
「オーダーメイド?」
 万里のメガネが不気味に光るのを見て神無は少し身を引いた。既製のものを着るなら採寸せずに服の号数を訊けばすむだろうと考えての単純な質問だったのだが、どうやらこれは訊いてもらいたい種類の内容だったらしい。明らかに鼻息が荒くなっている。
「当然です。当執行部において、お祭り騒ぎに手抜かりなどあってはいけません。徹底的に遊び倒すには多少の犠牲はやむをえないと考え、衣装班には涙をのんで鞭をふるう覚悟です。靴はさすがに外注ですが、衣装だけでなくアクセサリーも完璧に作ってみせます! ええ、執行部の意地にかけて! 夜なべさせてでも!!」
「ば、万里万里、口元歪んでる」
「……失礼」
 万里は指摘されてコホリと咳払いして表情を引きしめるが、それはすぐにだらしなく歪んでいった。
 適したドレスを調達するのが衣装班の仕事だと思っていたが、この意気込みはそれ以上のことを望んでいるのだと神無は気付く。メガネを光らせにやりと笑う執行部書記は、逃げ出したくなるほどやる気満々だった。
 そして、背後でもやる気満々の室長が拡声器片手に怒鳴っている。
 生き生きと仕事の続きに戻った執行部員の背を見ながら水羽が肩越しに室長の姿を確認した。
「やだなぁ、鬼ヶ里祭」
 少しずつ全貌が明らかになるたびに大丈夫なのかと思ってしまうのは神無だけではないらしい。執行部がお祭り好きなのはよくわかったが、ここに来てつられる人間と拒絶する人間がわかれはじめていた。
「うらぁ野郎ども! 班分けするぞ! 集まれ!!」
 三学年合同の作業とは思えない暴言を吐く室長に笑いさえ凍りついていく。仕方なく足を向けると、校庭の一画で悲鳴ともつかないざわめきが起きた。作業中の校庭はとかくうるさいのだが、それよりもさらに拍車をかける騒ぎように視線が彷徨う。
 遠くに人だかりができていた。生徒が入り乱れた壁の中から長身の男女が現れ、神無は小さく声をあげた。
「華鬼」
 不機嫌そうに辺りを見渡す彼の隣には見目麗しい少女が一人、天女のごとき微笑をたたえて立っている。すぐに生徒会副会長の須澤梓であることがわかった。過去に行くあてもなく女子寮に入り込んだ神無にたいし冷たい拒絶の言葉を向けてきた女だが、無闇に規律を乱さず、寮内の混乱を最小限にとどめようとした結果があの態度なのだろうと察しがついた。
 状況を的確に見定める洞察力に遠目に見ても非のない容姿――凛として美しく、華鬼の隣に立つならあんな女性が似合うだろうと思わざるを得ない、高潔な鬼の花嫁。
「神無、木籐先輩だ」
 立ち入れない空間から視線をそらすと、桃子が騒ぎを聞きつけて神無の腕を引いた。
「珍しいね。隣にいるの須澤先輩だよ。生徒会の見回りかな?」
 とっさにふんばったが慣れない雪に足がすべり、つんのめりながらも歩き出してしまった。そんな神無に気をはらう事もなく、桃子は室長の呼びかけを無視して神無の手を握ったまま人だかりへと向かって歩いていく。
「土佐塚さん、室長が呼んでる」
「そんなのあと! 木籐先輩来てくれてるじゃん。会いに行くのがさきだって!」
 助けを求めようと振り返ると、麗二と水羽も学校行事には一切手を出さない生徒会長が出張っている姿がよほど珍しいのか、興味津々で付いてきていた。
「どういう風のふきまわし? あの華鬼が仕事してるなんて」
「それも副会長と、っていうのは意外な……執行部とがち合わなくてよかったですね」
 楽しげな言葉は神無の耳にも届く。
 執行部の会長がいまはここにいない光晴なのだ。普段は温厚で謎の関西弁を披露する男だが、華鬼との相性は相変わらずかなり悪く、顔を突き合わせれば剣呑とした空気をただよわせていた。
 つられて安堵しながら、神無は確実に彼に近づいている自分に気付く。
「土佐塚さん、私」
「あ、先輩気付いたみたい」
 桃子の言うとおり、人波に鬱陶しそうな表情を浮かべていた華鬼が、まっすぐ神無に視線を向けた。今朝別れたばかりの相手で、夜になればまた会えることなどわかりきっているのに、こうしていつもと違う場所で会うと緊張と高揚が同時に訪れるのが不思議だった。
「神無、行きなよ。せっかく来てくれたんだから」
 別の用件で来たに違いないのにそう断言して桃子は戸惑う神無の背を押す。足を雪でもつれさせた神無は慌てて近くにある鉄柱を掴んだ。
 視界に桃子が映る。驚いて振り返る彼女の腕に響の手が伸びているのが見えた。
 掴んでいた鉄柱から妙な振動が伝わってくるのに気付いた神無に、響は遠ざかりながら微笑を向けゆっくりと上を指差した。
 何かが軋みをあげている。
 厚い雲で覆われた白い上空には雪像づくりのための足場が黒く浮き上がり、そこにぼんやりと人影が見えた。それに注視した彼女は近づいてきた硬質な物体に息をのむ。硬い金属音がいくつも重なる。
 逃げる事も忘れ、彼女は視界を黒く染める金属の塊を見上げた。
 当たれば軽い怪我だけではすまされないだろう。そう考えた直後、視界が不自然なほど大きく揺れ、彼女は転倒をするのを避けるため体をささえようととっさに手をのばした。
 指先に触れたのは冷たい金属の塊であるはずだった。
 けれどそれは、奇妙な感触を彼女に伝えてきた。
 落下する機材を見ていた神無は、視線を動かしてそれがなんであるかを確認しようとしたが、次の瞬間には視界が何かに阻まれ暗転する。
 そして、よく知る香りが全身を包んだ。
 無理に上げた視線の先には鋭い双眸があった。声をかけようとしたが、まるでそれを拒むかのように頭部を抱きくるめられ、二人の体が雪に埋もれた。
 脳裏にいくつもの金属の塊が浮かんでは消える。
 神無はきつく瞳を閉じ、守るように覆いかぶさるその体にしがみ付いた。

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