少女を囲むように、男たちがおのおの椅子を運んで腰掛ける。全開にされた窓から、まだ九月だというのにどこか涼しさをはらむ風が吹き込んできた。
「鬼がなにかっちゅうんが一番の疑問やろ!?」
「その前に、光晴の変な関西弁でしょ」
「関西弁やない〜!!」
水羽の鋭い指摘に、ガッと光晴が吼えた。
「光晴さんは放浪癖がありましてねぇ、人生の七割は根無し草のようにウロウロとしてまして。言うなれば、甲斐性なしです」
麗二はピッと指を立てて非常に失礼なコメントを加えた。
「甲斐性なし言うなや!!」
「言葉おかしいのはいろんな土地のいろんな方言がごっちゃになって、自己流になってるから。まぁ節操なしってコトだよね」
「節操なしやない!!」
水羽の言葉に、間髪いれずに光晴が叫ぶ。なかなか息が合っているらしい。
「ああ、それで鬼についてですが」
のほほんとそれを見ながら、麗二が神無に向き直る。
「無視するな〜!!」
「ほらほら、いつまでたっても話し進まないでしょ。光晴黙って」
「ぐ………」
水羽の言葉に、光晴が押し黙った。
神無はぽかんとその光景を見詰めている。騒がしく進められていく会話。少女にとっては聞き慣れない類の、楽しそうな会話。
「あ……」
三人の男が同時に言葉を失う。
そして、笑った。
「色々、思い出さなあかんな。しゃべり方や泣き方や――」
「笑い方も。大丈夫、貴女にはまだ時間があります」
「そうそう、ゆっくりと思い出せばいい。ね、神無?」
心の中のつかえが少し取れたような気がして、神無が小さく頷く。
多分――
多分、自分は笑っていたのだろう。
不器用に、たどたどしく。
もうずいぶん長いこと笑っていない。泣くこともやめた。それでいいと思っていた。
いいのだと自分に言い聞かせてきた。
彼女の前に開かれた世界は、いつも欲望と憎悪で塗り固められていたから。
「一個ずつ話そうな? まずは鬼や」
まるで子供に言い聞かせるように、ゆっくりと光晴は言葉をつむぐ。
「見た目は人間と同じや。ちょっとな、寿命が長いねんけどな」
ぴっと水羽が手を上げた。
「ボク、三十三歳です」
にっこりと美少年が言った。
「私は――いくつでしたかねぇ。四百歳はとうに超えまして。もうすぐ五百歳だったか、過ぎていたか」
ちょっと首をかしげるように、麗二が言う。
「ちなみに、鬼の中で一等若作りなんが麗ちゃんな」
「一言余分ですよ?」
不気味に微笑む保健医を無視して、執行部の会長は
「お? なんや、なんか言いたそうやな?」
ふと視界に入った神無の顔を、光晴は面白そうに覗きこむ。
「寿命はな、六百年が平均。遺伝子上の欠陥やとも言われる。テロメアが長いねん。ま、それだけのせいやないとは思うけど、結論は出てない。遺伝子上の欠陥の第二に、鬼の中には女も生まれん。これは致命的なんや」
「昔はね、里から妊婦さらって監禁して、自分の血を女に混ぜて鬼の子を生むことのできる女児≠生ませたんだ」
「血ィ混ぜてな、遺伝子狂わせるんじゃ。昔は
「今はさすがにやりませんけどねぇ」
不意に少女の口が動く。
「どうして……?」
「へ?」
「赤ちゃん、わかるの……?」
「ああ。匂い」
あっさりと光晴は言った。
「男と女じゃ、匂いが違う。鬼の鼻はよくきくで。だから女見つけて、その女が自分好みで女児
「鬼に美形が多いのはね、鬼が美女見つけては脅しまくってるからなんですよねぇ」
「そうそう。ここの学園、鬼ヶ里高校じゃん。つまり、鬼の高校なのよ。先生全員、鬼なの。冗談じゃなくて本物の」
さらりと水羽が続ける。
「学校関係者の三分の一が鬼。そんで、女生徒の三分の一が鬼の花嫁。平たく言えば、一学年丸々鬼関連」
聞きようによってはすさまじい内容の話を、水羽はこともなげに語る。
「鬼の種類は五つかな。ていっても、お家柄どうこうじゃなくてね、本人の持って生まれた気質でわけるの。先祖返りが激しいほど、偉いんだよ。今は華鬼が鬼頭――つまり、鬼の頭って意味の木籐≠名乗ってる。ボクが華鬼より先祖返りしてたら、ボクが木籐を名乗ってたかもしれないわけ」
「欲しかったなぁ、木籐」
「本当ですねぇ」
しみじみと光晴、麗二の両名が頷きあう。
「先祖返りって言っても、別になにがどう違うって言うわけやないんや」
「ただ、その存在感が圧倒的なんですよ」
「誰にも口出しできないぐらいにね。だから、鬼頭なんだけどさ。華鬼ったらやりたい放題だから、もう先生や他の鬼から目ぇつけられまくってるんだよね」
「口出しできないってのは、ツライですよねぇ」
同情して、麗二が物憂げに溜め息をつく。
「オレは口も手も出すけどな!」
フンッと、光晴が言い放つ。実際に今朝も思いっきり華鬼を殴っていた。
「私だって黙っちゃいませんよ。そうそう笑ってばかりはいませんよ? ふふふ」
「笑ってへん! 麗ちゃん笑ってへん!! 笑ってんのは口だけや、目ぇ
「ボクだってやるときゃやるよ。倍返し」
「倍で済むんかい!?」
「誰も二倍だなんて言ってないじゃないの」
「相手は鬼頭や!! 落ち着かんかい二人とも!!」
「久しぶりの屈辱で、こう……なんて言うかこう……血湧き肉踊るというか」
「麗ちゃん戻って来い!!」
「屈辱は屈辱で返すさ……楽しみだよね、麗二」
「水羽もやめ〜!!」
がっくりと項垂れながら、光晴がちらりと神無を見る。どこか不思議そうに、少女は黙って会話を聞いている。
魂の抜け切った今朝方の顔とは違う、わずかに変化の見える表情。
この少女の心はまだ死んではいない。死を望みながら、それでも少しずつ変わっていこうとする。
それが
「庇護翼はな、花嫁を守るんや。仕える主の名のもとに花嫁を影から守るんや。けど華鬼は、命令を出さんかった。いや、出さんかったどころか――」
言葉に詰まって、光晴がうつむく。
「華鬼は、花嫁の存在を誰にも言わなかったんですよ。庇護翼である私たちにも」
「ボクたちは昨日の夜に聞かされたんだよ花嫁≠フ存在をね。こんな……ッ」
ぐっと一瞬押し黙って、水羽は搾り出すように続けた。
「こんな屈辱ってない。じゃあボクたちは何のために選ばれたの? ボクたちは、花嫁を――神無を守るために選ばれたんじゃないの?」
「そんなに……大切なこと?」
少女は小さく首を傾げている。
三人の会話がまるでわからないというように。
「大切なことや。ゆうたやろ? 花嫁は宝なんや。鬼の子生んでくれるんは、刻印を持った鬼の花嫁だけや。
「鬼に愛された花嫁は幸せになる。鬼は情が深いんですよ」
ふと麗二が笑った。
「ただ、鬼が選ぶ花嫁は美少女が多くて、よく修羅場になるんですよ」
「あぁ、なるのぉ」
うんうんと光晴が深く頷く。
「花嫁に選択権はない。けれど、鬼がうかうかしていると、自分の花嫁と他の鬼が仲良くなってしまったりとかね」
「確かに、修羅場ってるよね。花嫁大切にしすぎて手ぇこまねいて、気づいたら間男入ってたりとかね。求愛した鬼がいい男だと、花嫁ぐらついちゃうんだよね」
かわいい顔で水羽が同意する。
「ま、ボクはそんなヘマしないけど?」
「お、言い切るのぉ。たのもしい」
「ま〜ぁね〜」
ふふ〜んと水羽が胸をはる。
「いいですねぇ若いって」
うらやましそうに、麗二が吐息をつく。見た目はさほど年が離れているようには見えないが、実際にはまったく違う。五百歳といえば、鬼の中でもかなりの年長者である。にもかかわらずこの容姿。
一部の鬼からは化け物と呼ばれている。
理不尽な呼び方ではあるが、否定する者はいなかった。
「あ――」
水羽が近くにあるテーブルの上に視線をやって、小さく声をあげた。
ワラがある。米を刈った後に残る、どこか黄ばんで独特の香りを放つもの。鬼の鼻をもってしても今まで気づかなかったとすると、かなり丁寧に香りを消されているようだ。
水羽はワラを指でつまんだ。5センチ。
保健室には似つかわしくないものである。
テーブルの上には、白い布があった。下に何かあるようで、奇妙に盛り上がっている。
水羽は何気なく布を取って、目を丸くした。
「ああ、それですか?」
微笑みながら、麗二が言った。
「人形作りに目覚めまして」
「ほぉどれどれ?」
水羽の手元を覗き込み、光晴も目を丸くした。
「うわ、………ごっつええ出来やな、このワラ人形」
どこか茫然として光晴が言う。
「念がこもってますから。昨日、夜なべして作りました」
笑顔が空恐ろしい保健医はこともなげである。
ばっと水羽が顔を上げた。
「ボクにも教えて!!」
「いいですよ。でも使う場所がなくて……」
「ああ……それならオレ、ええ場所知っとる」
「じゃあ三人で行こうよ!!」
水羽の目がキラキラしている。絵に描いたような可憐さだ。
「
この一言がなければ。
「だめですよ、あれは
「そうか。即死覚悟でやるには、リスクが大きいか」
むぅっと考え込む美少年は、ワラ人形とにらめっこ中である。どんな理由で誰のワラ人形を作りたいのかは、もはや聞くまでもなかった。
「花嫁の目の前で、なに陰惨な会話してんねん」
呆れたように光晴が肩をすくめる。ワラ人形は魅力的ではあるが、本人を殴ったほうがはるかにすっきりする。
光晴は華鬼を
「花嫁………」
ポツリと呟く少女の声が光晴の耳に飛び込んできた。
まだよくわかっていないという表情。――当然だ。本題には入っていない。
「神無さんは、華鬼の花嫁なんですよ」
「華鬼……」
「そう、あのロクデナシ」
にっこりと水羽が言った。その手にはワラ人形がしっかりと握られている。
「今晩祝言があるの。でも、気にしちゃだめだよ。あれは儀式。ただの形だけ」
「鬼は結局、花嫁には弱いねん。強く否定すれば花嫁が嫌がることはせん」
「そこら辺は人間とは違いますからね」
と、三人が頷く。
そして思い出したように、
「血、止まりました?」
そう麗二が神無に問いかけた。
鬼たちに襲われかけたときに自らでつけた傷。体中に残るくすんだ痕。
「麗ちゃんのクスリはよう効く。浅いケガなら即効や」
「血を見たり匂いかいじゃうとね、鬼ってキレちゃうヤツいるんだよ。気をつけてね?」
「――今まではそれを見て、男たちは逃げて行ったのでしょう?」
体中に残る抵抗の痕。
「血……皆、気味悪がったから……コイツはおかしいって……」
血だらけの少女に襲いかかる男はいなかった。彼らは皆、一様に驚いて足早にその場から逃げていった。
幸いにして、それで興奮する男には出会わなかった。
だから、少女の傷は増えていった。皮膚を醜く彩るほど。
「自傷は禁止や。鬼は食欲をそそられるアホもおる。刻印で魅了される鬼もおるなら、血で我を無くす鬼もおる。オレらみたいになんともない鬼もおるけどな?」
「でも………」
「花嫁は庇護翼が守る。そう言うとるやろ?」
「そうだよ、ボクたちを呼んで。誰よりも早く神無を守りに行くよ」
「もう貴女に指一本触れさせません」
男たちの言葉に、少女が戸惑っている。
無理もないと思う。
今まで、誰にも守られることなく育った花嫁なのだ。自分を傷つけ、心を閉ざすことで命をつなげてきた娘なのだ。
けれど。
「名を呼び。必ず駆けつける。オレは光晴や、わかるな?」
「ボクは水羽」
「では、私は麗二様と!」
「って、なんでお前だけ様付けやねん!?」
思わず裏拳でツッコミを入れる。
その瞬間。
ふわりと少女の表情が緩む。
「ああ、なんかええなぁ」
自分が笑っていることにも気づかない少女を見詰めて、光晴は優しく瞳を細める。
この笑顔を消さないために、庇護翼があるのだろう。
鬼たちにとって花嫁は何にも代えがたい宝なのだ。
「やっぱ花嫁は、幸せやないとあかんと思うねん」
そう言った光晴が、不意に言葉を失った。
一点を凝視したまま立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。
「――なんでや!?」
彼の視線は、グラウンドの一点のみに注がれている。
部活動のされていないグラウンドは、異様なほど広かった。その広すぎる場所に、二つの影があった。
長身の一つは自分たちと同じ制服を着ている。
後ろ姿でもわかる。
あれは、木籐華鬼。傲慢で不遜な主。
もう一つの小柄な影は、今朝方見た女のもの。
あの時は、背中しか見ることが出来なかった。しかし、それでも覚えている。疲れ切ったように乱れた髪、青白い顔、痩せた体――
似ているのだ。
すぐ近くにいる少女に。
朝霧神無に。
「お母さん――?」
光晴のすぐ隣で、小さな声が愕然とそう呟いた。