楽しげな女たちの嘲笑。
 神無は女たちの視線からのがれるすべを持たなかった。いつもなら少しでも危険を伴う場所には決して近寄らないようにしている。
 それが唯一、自分を守る方法だと思っていた。
 そうしなければどれほどの苦痛が待っているかを、神無はその経験上よく理解していた。以前の彼女なら、こんな所には来なかったはずだ。
「みっともない。さっさと――」
 敵意を剥き出しにするような人間がいる、こんな場所になど絶対に。
「みっともないのは貴女たちよ」
 侮蔑の混じった声を打ち消すように、凛とした声が響く。女たちがキャッと悲鳴をあげた。温かい雫が脱衣所に飛び散る。
「嫉妬に狂った女は見苦しい。冷水でなかったこと、感謝してもらえるかしら?」
 木製の古風な手桶を持ったもえぎは、射るような眼差しで四人の女たちを睨みつけた。ぱたりと手桶ておけから残りの湯が滴り落ちる。
 湯をかけられた女たちは、もえぎを見詰めたまま言葉を失っていた。
「出ていきなさい」
 もえぎはすりガラスを指差した。
「これは神聖な儀式です。その醜い嫉妬で汚されたくないわ」
「だって――」
「出ておいき。まだ恥をかきたいの?」
 有無を言わさぬ口調に、女たちは唇を噛んだ。格が違う。鬼の花嫁としての、そして、彼女を守る鬼の格が、嫉妬に狂った女たちとはあまりに違っていた。
 まだ女たちは何かを言いかけたが、もえぎの厳しい視線に堪えかねるようにうつむいた。
 そして、キッと神無を睨みつけてから脱衣所を出て行く。
 もえぎはそんな女たちの後ろ姿を無言で見詰め、小さく溜め息をついた。
「重ね重ね、申し訳ありません」
 しゃがみ込み、震える神無の肩にそっと手を伸ばす。
「大丈夫、貴女は幸せな花嫁になれます。お聞きになったでしょう、鬼はとても情が深い生き物です。とくに、鬼頭の名を継ぐ者は別格とうかがっています」
 ふわりともえぎは優しく笑う。
「鬼は強ければ強いほど、子を成しにくくなります。だから強い鬼というのは、自分の子を生んでくれる花嫁を本能で守り、愛するのですよ」
 神無の服を脱がせながら、もえぎは言葉を続ける。
「人と鬼とは違います。生まれる前に花嫁を決め、十六の誕生日にさらうなんて、それは合法的ではありません。でも、それが鬼の世界。人は出会って恋をし、結婚をしますが、鬼は出会う前に婚姻を交わし、結婚してから恋愛をするんですよ。おかしな生き物でしょう」
 そう言ってもえぎは笑った。
 傷跡で埋め尽くされる肌を隠すように小さくなる神無を浴室へと促す。そして風呂椅子に座らせると、手桶で湯をかけた。
「十六歳の誕生日の朝に、私は両親に結婚の話を切り出されました」
 もえぎは、神無の背中を洗いながらそう言って苦笑した。
 驚いたように振り返る神無に頷いて、彼女は言葉を続ける。
「学園にいる女生徒の中には普通の者もおりますが、ここにいる女たちは皆、鬼の花嫁です。それぞれに反発はあったでしょう――私は、泣いて叫んで大暴れしました」
 とてもそうは見えない。神無に語りかけるのは、おおらかで優しい女性である。
 もえぎは過去を懐かしむように瞳を細める。
「でも、今ではとても幸せです。あの方の子を生んでさしあげる事は残念ながらできませんでしたが、あの方の花嫁であることが、私の誇りです」
「あの、それ……」
 神無が小さく口ごもる。それに気付き、もえぎは手を止めた。
「私は麗二様の花嫁です」
「高槻先生の……?」
 保健室の麗人≠フ花嫁。とても意外な、だが、どこか納得してしまうようなセリフ。あの穏やかな人が選んだ花嫁が、この女性なのだ。
「鬼の寿命は長い。その間に何人もの花嫁を迎えます。その総ての花嫁は鬼より先に年老いて死んでいき、私もいずれそうなります。最期はあの方が看取ってくれます」
 寂しそうに、幸福そうにもえぎが笑う。人と鬼は違うと彼女が言うとおり、その思想も生き方も、共通点など何もない。
 それでも心を通わせることはできるのだ。
 もえぎを見詰める麗二の表情は優しかった。
 彼を思い言葉を紡ぐもえぎも、とても穏やかな表情をしていた。
 では、自分は。
 神無は、自らの心に問いかける。
 花嫁の死を願う鬼と、鬼を恐れる花嫁はどうなるのだろう。
「貴女は幸せになります」
 呪文のように囁くもえぎに、神無は小さく首を左右にふっていた。
 華鬼の、あの苛立ちと憎悪で塗り固められた視線には愛情の欠片もない。飾ることも偽ることもないあの瞳に宿るのは、殺意という負の心。
 神無にはそう思えてならなかった。
 そしてその先には、間違いなく自分がいた。

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