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「……なんや神無ちゃん、目えキラキラさせてへん?」
 困惑気味に光晴がうめく。
「映画見て興奮してるんじゃない? ほら、一応アクションもあったわけだし」
 仲間を見つけたといわんばかりに水羽がうなずく。
「ホラー映画で興奮ですか。……それはつまりどの辺りが……」
 ふむふむと麗二が顎を撫でた。
「麗ちゃん! ホラー映画観て悲鳴あげとったくせに、なんやいかがわしいこと考えとらんか!?」
「麗二ってときどきオヤジっぽいところに反応するよね」
「なにをおっしゃってるんですか。相手のことを知るのは大切なことでしょう」
「もっともらしく言ってもあかん! 口元がいかがわしくゆるんどるやないか!」
 エンドロールを見終えほっと息をつく神無を横目に、三翼はぼそぼそと意見を交わす。画面が真っ暗になると、
「あ、光晴さん、映画終わりましたよ」
「本当だ。神無が転ぶと危ないから早くカーテン開けてよ」
「…………」
 こういう役回りはきまって光晴である。一つ息をつくと「しゃあないなあ」と言いながらも腰を上げた。画面が切り替わる。次に表示されたのはチャプターだ。神無はくるくると変わる表示を物珍しげに眺める。メイキングやインタビューといった単語が表示され、赤く点滅していた。
 軽い音をたててカーテンが開けられる。とたんに増えた光量に、神無は目を細めた。窓を開けるとひんやりとした風がレースカーテンをはためかせ、頬をそっと撫でていく。
「神無ちゃん、なんやリクエストある? 観たいのがあったら探しとくけど」
「レンタルなら一緒に選ぼうよ。僕、派手なアクション映画が観たい!」
「では私は恋愛ものを」
「水羽のアクション映画はええとして、麗ちゃんのは却下やな」
「なぜですか」
「下心が見えとるわ、下心が。どうせムーディーなの選ぶ気やろ」
「手に汗握るパニック映画でもいいですよ」
「抱きつくの期待しとるやろ。いやむしろ抱きつく気やろ」
「……愛と笑いのホームドラマとか」
「隙あらば肩を抱こうと狙ってへんか?」
「言いがかりです」
「せやかて全部いかがわしく聞こえるし……わかった。麗ちゃんの言葉は一切合切、下心があるように聞こえるんやな」
「偏見です」
 三翼の会話はいつもよどみなく続く。テレビ画面にはいまだ単語が羅列されている。特典映像の文字を凝視していると、軽い音をたててドアが開いた。
 不機嫌顔の華鬼が、一瞬にして水を打ったように静まり返るリビングを見回して動きを止める。神無に気づくと彼の表情がますます険しくなった。
 だが、殺意らしきものはない。苛立っているが、その苛立ちをなんらかの形で発散させる気はないようだ。
 ――ということは。
 神無はすっくと立ち上がる。
 思いがけずチャンス到来である。神無は驚愕の表情で固まる三翼をその場に残し、まっすぐ華鬼に向かって歩く。いささかぎょっとしたように華鬼が足を引いた気もするが無視し、勢いよく彼の腹にタックルを決めた。
 ――つもりだった。
 映画の中のトラブルメーカー少女は、華麗に、あるいは器用に、窮地を切り抜けていた。人生において、逃げるか隠れるかの二択が常だった神無にとって、逃げもせず隠れもせず、そのうえ戦いもせずに活路を見出すトラブルメーカー少女は、一種の光明だったわけで。
「…………」
「……なんのつもりだ……?」
 頭上から降ってくるドスの利いた声にタックルは失敗だったと悟る。ゾンビならここで豪快に転倒するところだが、華鬼はびくともしなかった。足を引っかけて転がすという高度な技も試してみたが、やはりこれっぽっちも変化がなかった。
 次になにをすれば効果的か――。
「おい」
 思案していると頭上から再び声が降ってきた。今度の声は先刻よりもさらに低い。
 ようやくここで、神無はまずい体勢であることを自覚した。自覚すると急に鼓動が速くなる。
 一拍おいてちらりと上を見ると、黄金色に染まっていないのが不思議なくらい殺気立った華鬼の目が見えた。そっと視線をはずして背後を見ると、顔を引きつらせる麗二、ぐっと身構える光晴、今まさに飛びださんとする水羽の姿があった。
 神無は華鬼にしがみつく手にぎゅっと力を込める。
 華鬼の体が一瞬だけこわばった。
 そっと手から力を抜き体を離そうとした、そのとき。
「あら鬼頭、ちょうどいいところに」
 のほほんとしたもえぎの声が聞こえてきた。華鬼の気が逸れたすきに、神無はさっと彼から離れた。
 廊下には、ナイロンバッグと紙袋を手にもえぎが立っていた。もえぎはナイロンバッグをさぐって長細いものを取り出す。
「頼まれていた玄米茶です。それから、和菓子屋さんに立ち寄ったら秋の味覚が売っていたのでお裾分けです。どうぞ」
 紙袋から小さな箱を取り出して華鬼に差し出す。戸惑ったように華鬼が目を瞬くと、殺気がするりと引いていく。素直に二つを受け取った彼は、きびすを返すなり去っていった。
 神無はほっと息をつく。その直後、血相を変えて光晴と水羽が飛んできた。
「なにしとるんや!」
 叫んだ光晴は、華鬼が戻ってこないことを確認するようにドアを細く開けて廊下を見た。
「神無、怪我ない? どっか痛いところは!?」
 水羽は神無の肩を掴むと青くなって揺すぶった。
「だ、大丈夫です」
「ならよかったけど……なんであんなこと」
 手を放すなり水羽が渋面になると、
「華鬼はゾンビよりウエートがありますからね」
 いち早く状況に気づいたらしい麗二が肩を震わせた。
「麗ちゃん、笑っとる場合ちゃう! 神無ちゃんはとにかく座り。話はそれから……」
「それより先に、お茶にしませんか?」
 やんわりともえぎが口を挟む。
「お茶って」
 光晴が口ごもると、もえぎはたたみかけるように言葉を続けた。
「皆さんにも買ってきたんですよ。味覚の秋ですから栗最中を」
「――秋」
「ええ。味覚の秋です」
 紙袋を持ち上げて、もえぎがにっこり笑う。そんなもえぎを見て、夏だ夏だと連呼していた光晴がよろめいた。
「九月に入ってずいぶん涼しくなりましたし、やっぱりもう秋ですよねえ」
「麗ちゃんの裏切り者ー!! さっき夏の話をしたやないか!」
「あ、栗どらがある。栗どら焼き。ねえねえもえぎ、栗ようかんはー?」
「水羽も裏切り者ー!!」
「……栗どら……」
「か、神無ちゃんまで……」
 光晴がぐったりと項垂れる。
「それじゃ、お茶にしましょうか」
 もえぎの合図で皆が立ち上がる。キッチンに移動するのを見て皆に続いた神無は、ふっと立ち止まってドアを見た。
 今ごろは、もしかしたら。
 小さな甘味を前にして、きつく引き結ばれた口をゆるめる鬼の姿を思い浮かべる。
 ――あの難しい顔をした鬼も、豊かな秋を楽しんでいるのかもしれない。


=了=



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