『ある取調官の結論とそれに至る考察』

 ナナティエ・ブロウは、カルアシャ海軍に入隊して二十五年になる。
 いつまでたっても若々しい彼女の実年齢を言い当てた者は皆無――見た目は、いまだに十代後半から二十代なのだ。
 若さの秘訣を知りたがる女仕官も多い。
 だが、取調官として不動の地位を築き上げた彼女に、そんな大それたことを訊く者は一人として存在しなかった。
 同じ海軍士官でも取調官は特殊なのだ。諜報部に属しながら医療を深く学び、それらの知識をすべて“人を殺すため”あるいは“少しでも長く死なない程度に生かし続けるため”に発揮する。
 悲鳴と苦悶は天上の音楽、そう言ってはばからない者までいる。
 殺さず生かさず、それが彼らの信念だ。
 情報を引き出せば、あとはさらなる地獄が待つのは言うまでもない。殺す必要がない相手でも“ついうっかり”殺してしまうのが日常だった。
 ひとたび刑具室を出れば歪んだ愉楽を捨てごく普通にしているので、その落差がよけいに気味悪いと影でささやく者もいた。不正を働いた仲間も平然と拷問にかけるため恐れられるので、ある意味では仕方のないことだろう。
 ちなみに、こうした評判を彼らは一切気にしない。
 どれほど後ろ指をさされても平然としている。だが、それゆえに彼らの心の内が掴みづらく、誰もが声をかけるのを躊躇うのである。
 しかし、ある種の予想は立つ。
 ナナティエ・ブロウの若さの秘訣――。

「最近、骨のある捕虜がいなくてつまらないわね」
 しなやかな革の鞭で床を叩き、ナナティエは溜息を漏らした。右手に鞭を持ち左手は頬にあて、少し困ったように小首をかしげる。そうしていると拷問道具すら淑女のたしなみの一つに見えるのだから恐ろしい。
「調書をまとめて提出してちょうだい」
 部屋の片隅で黙々と手を動かしていたのは記録係の兵士だ。年を取っているくせに等級もない、主張もこだわりも、己の意思すらあるのか疑わしいタイプの男である。言われたことをきっちりこなし、それ以外は一切やらない。口も出さない代わりに自己の有無すら疑わしかったが、ナナティエはこうした兵士は嫌いではなかった。
 理由は至極簡単だ。
 捕虜が死んでも、命じればそつなく始末してくれるからである。
 下手な良心ならないほうがよほどいい。ごくごく普通に出勤し、ある日突然気がふれるのでは面倒を見切れない。
「今日はここまでよ」
 刑具室を出る手前、捕虜にそう声をかけると、彼は驚愕に顔を歪めた。
「待ってくれ! 自由に、自由にしてくれるんじゃないのか!? 助けてくれるって……!!」
 年若い敵兵は青ざめていた。
「あら、ごめんなさいね。それを決めるのは私じゃないの」
「そんな」
「それにあなた、たいした情報を持ってなかったから……どうなるのかしら。楽しみね」
 喉の奥で低く笑うと、敵兵は手枷を激しく揺らした。待ってくれ、助けてくれ、そう叫ぶ声を無視してドアを出る。声はすぐに勢いを失い、絶望の色に染まった。
 ナナティエは口元をゆがる。
 相手を屈服させたあとは気分がいい。この悦楽はすぐに冷めてしまうが、それでもゾクゾクと胸が躍る。
 ただ、もう少し楽しませてくれる獲物がほしいところだ。
 丈夫で美しく、屈することを知らない、例えば――そう、例えば。
「ブロウ少佐」
 呼ばれ、ナナティエは視線を上げる。物思いにふけってある男の顔を思い出していた彼女は、妄執に似たその感情を無理やり胸の奥底へと押し戻した。
 目の前には部下が一人。
「なに?」
「はい」
 カルアシャ兵は、第一声のみ下級兵士からかけることを許されている。次の発言はこうして問われたときのみ口にするのが規律としてある。むろん、できの悪い下級歩兵やナナティエ直属の部下ゲイリーのようにそうした約束事を守らない兵士がいないわけではない。
「採掘場でルティアナ号の訓練生と接触したという研究員を取調室に通しました。案内を?」
「ええ。……お願い」
 たった一人の仲間を救い出すため敵の施設に乗り込んだ訓練生たち――本来なら浅はかだと嘲笑うところだが、結果を見るとそうもいかない。カルアシャは多大な被害をこうむり、その責任は士官たるナナティエのもとにまで及んだのだ。
「たかが訓練生と甘く見ていたのが間違いね。あのルティアナ号だもの。……面白いわ」
 不謹慎な言葉をそっと唇にのせ、ナナティエは部下の背を追った。カルアシャ兵が乗った船が採掘場を離れる際、軍艦相当の戦闘力を誇るルティアナ号は可能な限りすべての砲門を開き、しかし、一発の砲撃もなくカルアシャ船を見送った。総指揮を執るはずのミスティアが不在にしても不可解な行動――あれになんの意味があるかわからなかったが、訓練生同様、あの船が取った行動も実に興味深かった。いずれ海上で合間見えるかと思うとゾクゾクする。
 廊下を渡って階段を下り、さらにしばらく歩いた先に取調室が並ぶ一角がある。ナナティエが三号室に入ると、そこには痩せた女が一人、そわそわとあたりを見渡していた。彼女はナナティエを見ると飛び跳ねるようにして椅子から立ち上がり、ずり落ちた眼鏡を中指で押しあげた。しかし、すぐにまたずり下がってくる。彼女は両手で眼鏡のフレームを押さえて一礼した。
「お、お呼びと伺い、参りました。リンダ・ハディーです」
「そんなに硬くならないで……そこにかけて。私はナナティエ・ブロウ」
「は、はい。よろしくお願いします」
 控えめにうなずいてリンダは丸椅子に腰をおろした。そして、居心地悪そうにもぞもぞと体を動かす。
 ナナティエは部屋の隅で待機するよう部下に命じ、机を隔てた反対側、もう一脚用意された椅子に腰をおろした。
「あの、調書を?」
 記録しないのか、という意味での質問だろう。不思議そうに声をかけ、リンダは慌てて口を閉じた。
「申し訳ありません。あたしったら!」
「いいのよ。……担当取調官は私じゃないの。正式な者が来るまで、少し話を聞きたかったのよ」
「は、はあ」
 リンダは肩をすぼめるようにしてうなずいた。落ち着きがなく気の弱そうな小娘――それが、リンダの第一印象である。研究員としてさほど優秀ではないが、根気強く観察し、それらを記録して有益な書類をコツコツと提出することで一定の評価を得る人間だ。
 彼女は採掘場でルティアナ号の訓練生に拘束された。ナナティエが目を通した調書には、彼らと会話したという記述があった。
「そのときに会った敵の訓練生は?」
「ドレス姿の女の子と、男の子二人です」
「……ドレス? その娘がミスティアね」
「え」
 ナナティエが忌々しくつぶやくと、リンダはぽかんと口を開けた。
「あの子がミスティア? 普通の……ごく普通の、女の子でしたけど」
「そうよ。ごく普通。女神だなんてとんでもないわ」
「でも」
 うなずくナナティエに、リンダは言葉を続けた。
「可愛い子でした。……あの子が女神様なんですか」
 ミスティアは自らを「不敗の女神」と公言する愚かな娘の代名詞だ。カルアシャは唯一絶対神を崇拝し、王家のみがこの血縁にあたる。ゆえに国民は国王を敬い邪神を排除するのだが――ナナティエは眉をひそめた。
「あなた、国王陛下を侮辱する気?」
「とんでもないです! そ、そんなつもりは……ただ、その、言葉遣いとか雰囲気とか、……手付きとか」
「手付き?」
「はい。ロープを手首に結ぶときの、その手付きが」
「……」
「羽毛が触れるみたいに優しくて、なんかもう、抵抗するのを忘れちゃって……っ」
 リンダは赤くなって頬を押さえた。両手を拘束したロープは、かなりゆるく縛られていたという報告があった。
 ナナティエは険しい表情になる。
 ――腑に落ちない。
 ロープ一本でこれほど悦ばせる(※誤解)とは、一体どんな妙技を使ったのか。
 照れ照れとそのときのことを話しているリンダを見て、ナナティエはじっと考え込んだ。ミスティア話はやがて同行した二人の少年にもおよび、こちらはなかなかの美丈夫で目の保養でしたと力説してくる。数年後が楽しみだと夢見るように続けられてしまった。
 接触したのはわずか数分だが、リンダの話にはよどみがない。ナナティエが黙り込んでいることすら気づかずにしゃべり続けている。
 やがてリンダの話を中断させるかのごとくドアがノックされ、新たな訪問者を伝えた。
 伝えられたのは二人目の被害者、レヴィン・ベルの名だ。研究者にしては大柄な男でどちらかというなら兵士向きの体格だが、実験が三度のメシより大好きという航石研究に一生を捧げる化学馬鹿だ。
「取調官が到着しました」
 レヴィンを連れてきた衛兵がそう伝えてきたので、ナナティエはしゃべり足らないという顔のリンダを部屋から追い出し、代わりにレヴィンを椅子に座らせた。小首をかしげてドアを見るレヴィンに、ナナティエは口角を引き上げて笑みを浮かべる。
「彼女に少し話を聞いていたのよ。質問はわかって?」
「あ、はい。採掘場の一件とうかがっています」
 背を伸ばすレヴィンにナナティエは軽くうなずいた。そして、やや間をあけて質問する。
「ドレスを着た女の子に会ったわね?」
「はい――はい、会いました」
 首肯した彼は、そのままの姿でぴたりと動きを止めた。
「そのときの様子を――どうしたの?」
「い、いえ。なんでもありません」
 うつむいたままレヴィンは首を横にふる。しかし、なんでもないという雰囲気ではない。怪訝に思って見つめるその先で、レヴィンが見る見る赤くなり、あっという間にその耳まで同じ色に染まっていった。
 ナナティエは口をつぐんだままレヴィンの顔をじっと見つめた。
 直接の質問はわずか二つ。彼が顔を赤らめたのはおそらく二つ目の質問。
 つまり、ミスティアに会ったというものだ。
 前段階の調書を思い出し、ナナティエは眉根を寄せた。
 研究途中、突然乱入してきたミスティア。その彼女に動きを封じられたあとにルティアナ号の訓練生二人が乱入し、さらに部屋を訪れたリンダが縛られて刑具室までの道のりを話した、というものである。
 採掘場は昼夜を問わず厳重に守られているため、通常であれば敵の侵入など考えられない。ゆえに研究員たちはそれらの対処に慣れていなかった。しかし、それにしてもほぼ無抵抗で縛られた上にあっさりと情報を流すのは言語道断だ。
 たとえ脅されていたとしても、引き出しの中、壁の飾り、床の隠し扉の中と、緊急ブザーはいたるところに配置され、敵とはいえ、相手はいまだ訓練中の学生――緊急ブザーを押せない状況ではなかったはずだ。
 それが無理なら、せめて少しは抵抗しろ、と思う。
 だが、二人の研究員はほぼ無抵抗で拘束された。
 その理由が――。
 ナナティエは深慮する。
 研究員の女は抵抗を忘れ、男は抵抗できる状況になかった。
 彼が抵抗できなかったのはミスティアの攻撃が原因である。ミスティアの取った行動は、淑女ならまず取ることのない、下品としか言いようのないものだった。
 そしてその決定的な“一撃”は、どうやら激痛以外のなにかをもたらしたらしい。
 赤くなる男を見つめてそう直感した。
「いいわぁ、血が騒ぐわぁ」
 ナナティエは口元を歪めた。
 第九十九目ミスティア――エダ・クリスティーヌ・カルマン。
 三百年前、世界を揺るがせたティネーゼ運河で起こった乱で、彼女の祖先はカルアシャ王に背いて民に力を貸し、結果としてナガール大陸は運河を挟んで二つの国に分かれた。
 圧倒的な兵力で民の暴動を鎮圧するはずが、いまだ世界は分裂したままなのである。
 ティネーゼの英雄と謳われたその末裔は、どうやらナナティエ個人にとっても忌むべき存在――否、ナナティエ自身が“獲物”と認めた男ライハルト・ドリュンセンと“親しい間柄”で、この“技術”があるならば、むしろ好敵手といったところか。
 久々に気骨のありそうな相手だ。
 真っ赤になったままうつむく研究員を眺めているうちに笑みが残忍さを増す。
「ぜひ相まみえましょう、ライハルト・ドリュンセン。それに、エダ・クリスティーヌ・カルマン。まとめて可愛がってあげるわ」
 ふと吐き出された息は熱く、嬉々として赤みが差す頬は、まるで生気を受けるかのごとく輝いている。ひどく歪んだ妄想に囚われた女は、“その”一瞬を思い描いてそっと目を伏せた。

 ――ナナティエ・ブロウの若さの秘密を知る者はいない。
 それでも、誰もがある種の予想を立てる。
 それはおそらく、こんな瞬間。
=了=