『その時、彼らは。』

 船体が揺れるたび、カップにそそいだ液体が揺れた。
「なんですか、それ。お酒?」
「馬鹿か。かわいいガキどもが血眼になって働いてるときに酒なんて飲めるか。これは、水」
「……なんで水?」
「調理以外の酒は積んでないからなー」
「飲みたいんじゃないですか」
「当たり前だ。航海中禁酒なんてどんな拷問だよ。酒好きナメんな」
「……アルコール入らなくても酔っ払えるなんてお得ですね」
 はあ、と今期入ったばかりの年若い教官は溜息をつき、刻々と激しさを増す船体の揺れと轟音に眉をひそめた。そこは地下三階、頭上には司令塔がそびえ立つ場所にある一室である。四方は鉄の壁に囲まれ、空調機と長テーブル、三十脚にも及ぶ椅子が雑然と置かれていた。集まった男たちは好き勝手に椅子に腰を下ろし、外の混乱とはまるで無縁といわんばかりに雑談を繰り返している。
「あの、俺たちここにいていいんですか? 外、すごいことになってると思うんですけど」
「たっだいまー」
 オロオロと声をかけると、一つきりのドアが開いて女教官が姿を現した。訓練校の激務に耐える度量の女は、一瞬で集まった視線にニッと笑顔を作る。
「全然ダメね!」
「かー。だよな、ちょっと期待してたんだけど」
「所詮は普通の女の子、か。いや俺もちょっと期待してたけどな」
「ライハルトがついてるからなあ。そりゃあ誰でも注目するさ」
 ざわめく教官たちは一様に落胆の表情である。新任の教官はこれにひどく慌てた。
「上、行かなくてもいいんですか? 船が沈んだらどうするんですか?」
「誓約書にサインしただろ。戦闘時に教官の手出しは禁止。破れば規約違反で軍法会議ものだ。ガキどもに任せるしかないんだよ」
「……え」
「その顔は――読まずにサインしたのか?」
「だ、だって、すごい量の書類で。はじめのほうはちゃんと読んでたけど、そ、そんなことが書いてあるなんて、俺、全然――っ」
「奇遇だな。実は俺も読まずにサインした」
「おお、俺も俺も。あれ読めって無茶だろ」
「なんだ、気が合うじゃないか。俺もだ。初戦で知って、死ぬほど後悔した」
「そんなこと言って! 船が沈んだらどうするんですか!?」
「そりゃあ俺たちも死ぬさ」
「そんなあ!」
 悲鳴をあげる若き教官に、いたるところから苦笑が返ってきた。
「そうならないように、日々訓練してるんだろ。最大限のことを教えてるんだよ。手なんて抜けないぞ。勉強も命懸けだ」
「それにな、あいつらで切り抜けられないものを、俺たちが出て行ってもなあ」
「前、我慢できない教官が飛び出していって魂が抜けたみたいになって帰ってきたことがあったよな」
「ああ、ビリーか。あれは迷惑だったな。勝手に打ちひしがれて、もう俺にはなにも教えることはありませんって、次の港で降りたんだっけか。授業に穴あけるわけにはいかないから、数日停泊して後任探して……混合授業だからなあ、とりあえず全授業を同時に進行させなきゃ教育にならんとかで、船そのものもゴタゴタだった」
「でもあの時は、単位落とした訓練生が押しかけて、後任見つかるまで特別授業ができたじゃないか。結果的にはよかったんじゃないか?」
「そりゃそうだけど」
 飛び交う会話に苦笑が交じる。
「学習する意思があるってのはいいことだ」
「まあな。おまけに並みの軍隊より優秀だし」
「育てがいがあるよな。うかうかしてると、追い抜かされる。教官はせいぜい威張りくさって、ガキどもより偉いふりして陰でこっそり勉強さ」
 若き教官は言葉もない。確かにルティアナ号の訓練生たちは飲み込みも早く応用力もある。それは基礎がしっかりと叩き込まれ、あらゆる状況を想定した訓練が繰り返されていることの証であるのだが――まさか、教官たちがこの姿勢で臨んでいるとは思ってもみなかったのだ。
 彼はあたりを見渡し、声をかけようと思った人物がいないことに気づいた。
「ミスター・ワグナーは?」
 彼も教官のひとりとして登録されている。当然、ここにいなければならない。
「ああ、あの人は……変り種だからな」
「え?」
「戦闘に手出しできないって誓約書を逆手にとって、医療室にいるよ」
「医療行為は戦闘じゃないって言ってな」
 返答を聞いて「え」と彼がもう一度間の抜けた声をあげると、船体が大きく揺れた。
 ルティアナ号の一角には、子どもたちの手にすべてをゆだねて時を待つ大人たちがいる。

Top