『甘いお話』

 入念な打ち合わせが終わって携帯電話を切ると、目の前に小さな白い箱が差し出された。
 あえて確認することもないだろうとは思ってはみたものの、彼の視線はなんとなく箱を持つ手を辿って腕へ移動し、やがて白い首筋を通ってその顔へ移る。
 彼はふたたび、彼女が手にした箱へと視線を戻した。
「なに?」
 甘い香りが鼻腔に届きはしたがあえてそう問いかける。察しの悪いフリをすると、彼女はあからさまに不機嫌な顔になり、それを見て彼は相変わらずわかりやすい女だと胸中で笑った。
「あげる」
「なにを」
「これに決まってるでしょ!」
 ずいっと差し出された小箱に、彼――響は小首を傾げた。
「これは?」
「……ケーキ」
 素直に返してきたことに敬意を表して受け取ると、喜ぶかと思った彼女は、やっぱり不機嫌なままだった。
「ケーキ?」
 邪魔な携帯を近くにある机の上に置き、響は桃子から受け取った箱を開けてへえっと小さく感嘆の声を発した。小さな箱の中には不恰好とはいえ箱に合わせたかのような小さなケーキが入っていた。山中の施設の中でケーキを買うことができる場所は限られており、それをよく知る響は箱の中をのぞきこんで思わず目を細めた。
 不恰好なケーキは、どうやら手作りらしい。
 どういった心境の変化なのかと思って桃子を見たが、照れているのか彼女の視線はいつの間にか窓の外に向いていた。
「材料があったから作っただけ」
 言い訳じみた桃子の台詞に苦笑しながら響は箱の中に手を差し入れる。
「食べてもいいか?」
「うん」
 なるべく崩さないように慎重にケーキを取り出した。本来なら皿やフォーク、ついでに紅茶を用意させるところだが、面倒くさいので、常なら考えられない行為だがそのままかぶりつく。
 甘い香りに合わせたかのような甘味が口いっぱいに広がり――。
 響は、一瞬だけ動きを止めた。
 そしてやはり心の中で「この野郎」と毒づく。咀嚼し飲み込んで、なんの疑いもなく感想を待っている桃子に向き直ってにっこり微笑んでみせた。
 とたんに彼女の表情が固まった。
 毒気のない笑顔が実は猛毒であることを彼以上に理解している彼女は、ほとんど条件反射でじりじりと後退を始めている。その腕をすかさず掴み、微笑みながら新しくケーキを口腔におさめて彼女を抱きよせた。
「な――!?」
 抗議のために開かれた唇に噛み付くようにキスをして、それこそ顎が外れるくらい甘いケーキを口移しで彼女に与える。もがく頭を逃げられないよう固定し、嚥下するまでしっかり押さえつけてからようやく解放してやると、彼女の息は完全に上がっていた。
「あ、甘……っ」
 その場に座り込んで涙目で口をぬぐっている。どんな計量をすれば砂糖菓子を髣髴ほうふつとさせるケーキを作ることができるのか、心なしかべったりとするスポンジに呆れながら響は肩をすくめた。
「失敗作か?」
「口で言えばすむでしょ! 口で!」
「食べたほうがよく伝わる」
「じゃあ普通に食べさせてよ!!」
 桃子の主張どおりにしては面白くないので、響は微笑みながら彼女の意見をあっさり却下した。もてると自負のある男は、全身全霊で拒絶してくる彼女の反応が楽しくてしかたがない。とろけるように身を任せる女には散々飽きていたので、たまにはこんな反応が新鮮に思えてくる。
 サド気質でありマゾの要素も充分に持つ男は、共犯者の反応を見て上機嫌になる。
「ホント、あんたって最低!!」
 腹の底から怒号する彼女に笑んで、彼は残ったケーキを口に運んだ。本当に、なにをどうやったらこんなに甘ったるいケーキになるのか不思議でしかたがない。胸焼けを起こしそうだなと悠長に考えていると、
「全部食べるの?」
 驚愕する桃子が響の手元を凝視して問いかけてきた。
「せっかく作ったんだからもったいないだろ」
 かぶりつきながら答えると桃子は目を瞬いて肩を落とす。その顔がどこかほっとしているように見えるのは――きっと、たぶん、気のせいに違いない。
「次は失敗するなよ」
 指先についたクリームを舐め取りながら窓の外を眺めて言葉をかけると、彼女は瞬時に悔しそうに口を引き結び、それでも珍しく素直に頷いた。
 それがどこか可愛く見えたのも、きっと、たぶん――。

=激甘・了=

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