『冬とダンス』


 響が時間を潰すのに利用するのは南棟の屋上か北棟の空き部屋である。彼が嫌う華鬼もよく授業をサボっているが、この二人が鉢合わせにならないのは、そもそも活動拠点がずれているためだった。
 華鬼が利用するのは主に中央棟なのだ。さすがに反目し合っているだけあり見事な拒絶ぶりだ――と、桃子はいつも感心する。
 桃子は人目を気にしながら北棟へ移動し、響がいそうな部屋にあたりをつける。空き部屋が多いが彼が好むのはその中でもわずかなのだ。立ち入り禁止の札をまたぎ、四階へとあがる。冷気で冷えた廊下を進んで無造作にドアを開けると、実につまらなそうな顔をして響が雑誌を眺めていた。
 そんなに面白くないなら見なければいいのに、とは思うが、口には出さない。余暇に注文をつけるほど無粋ではない。ちらと顔をあげ、桃子を確かめてから響はまた雑誌へと視線を落とした。
「どうかしたのか?」
 取ってつけたような質問だ。どうせたいした用事じゃないんだろ、そう言葉が続きそうな雰囲気である。かまわず桃子は部室から借りてきた年代物のラジカセをかかげた。
「付き合ってよ」
「なにを」
「ダ、ダンパの訓練に決まってるでしょ!」
 鬼ヶ里祭間近、この時期にラジカセを持ってきたならそのくらい察しろ、と本気で苛立って怒鳴ると、響は怪訝な顔をしながらもう一度桃子を見た。
「授業で練習してるだろ」
「してるけど!」
 ダンスと聞いて一番に思い浮かぶのはヒップホップだ。駅前や公園、はたまた路上で音楽に合わせて踊る若者くらいしか思いつかない。社交ダンスなんて見たこともなければ踊ったこともなく、かろうじてテレビでチラ見しだけ――それも、派手な衣装に苦笑してさっさと別の番組に変えてしまったので、イメージはあれど思うように踊れない。おまけに授業で組んだクラスメイトは、あわ踊りでもはじめそうな微妙なぎこちなさで、ダンスというより盆踊りの域だ。それはそれで極めれば面白いかもしれないが、当然のことながら、桃子自身はそんなものを覚える気など毛頭なかった。
 鬼ヶ里祭の正式なパートナーは響だ。当日に盆踊りを披露すれば、自己嫌悪では足りないほど嘲笑を浴びせられ、思う存分軽視されるだろう。
 鬼は花嫁の前では恥をかかないようにダンスのたしなみがあると耳にした桃子は、本番で失敗するよりはマシだと自分にいい聞かせ、放課後に時間を見つけて響に会いにきたのだ。
「ちょっと付き合ってくれればいいの」
「ちょっと習ったくらいじゃたいして踊れない。だから適当な形になってればいいんだぞ、あんなもの」
「その適当ができないんでしょ! いいから付き合いなさいよ!!」
 恥も外聞もなく声を荒げると、響はきょとんと桃子を見つめた。毎度毎度、これほど遠慮なく響を怒鳴りつけるのは桃子だけなのだが、彼女自身はその重大性をまるで関知していない。
 響は一瞬だけあさっての方角へ視線を流し、
「……お願いします、は?」
 すぐに机に頬杖をつき、勝ち誇ったような笑顔で質問する。桃子の喉が「ぐっ」と鳴った。人にものを頼むなら必要な言葉だ。しかし、相手が響となると素直に「お願いします」と言うのが癪にさわる。
 が、ダンスパーティーで大恥をかくことを考えれば意地を張っている場合でないのは明白だ。
「お、……お願いします」
 屈辱に震えながら言うと、意地の悪い笑みが返ってきた。
「やだね」
「あんた――!!」
「面倒くさいし」
「踊りなさいよ! 机片付けるから! 今! すぐ!!」
 桃子はラジカセを床に置き、手にしていた袋を乱暴に教壇の上にのせて机を持ち上げる。片付けるといっても空間を確保するために移動させるだけだ。一個ずつ移動させるのはさすがに大変だったが、それでも根気よく運んでいればそれなりの空間ができる。もともと一室が広く、そのわりには机が少なめなので、練習には充分な広さが確保できた。
 最後に響を無理やり立たせ、その机も教室の隅へ追いやった。
「じゃあ、はじめるわよ」
「なんでそんなにやる気なんだよ。鬱陶しい女だな」
「みんなの前で恥かきたいの!?」
「どうせ自分のことでいっぱいだ。誰も他人なんて気にしてないだろ」
「考えが甘い!!」
 目立つ男がそばにいたら、女も当然目立つのだ。鬼が選ぶパートナーはその花嫁と相場が決まって、女子生徒の一部は桃子が響の花嫁だと思い込んでいた。不本意な誤解だが、人のことをさんざん小馬鹿にしていた女たちが狼狽えるのはなかなか爽快だったので、あえて訂正していない。
 こういう時には、さらに予想外のできごとを追加してとどめを刺すに限る。
「こんなチャンスめったにないんだから! せいぜい悔しがれ! 下世話女ども!!」
「……お前はいつも面白いポイントで燃える女だな」
「どこが!?」
 呆れ気味に肩をすくめる響を桃子は鋭く睨む。
「とにかく、練習付き合って。どうせ暇なんでしょ」
 よくない言い方だとは知りつつも、桃子はそう口にして教壇の上に置いた袋からダンスシューズを取り出す。当日履くものは後日届く予定だが、慣れておくためにはその本番用のシューズでも練習したほうがいいという話だった。たかが高校生の、しかも雪が降ったという理由だけで突発的に決められた行事にしては手が込んでいる。これが鬼と、その花嫁の親密度を上げるために企画されたものだということなど知らない桃子は、上履きからシューズに履きかえて並べた机の隣を慎重に通りすぎ、三歩歩いたところでバランスを崩した。
 何かに掴まろうと手を伸ばしても、間近に手ごろなものがない。
 ぐらぐら揺れる足首に焦って体を支えようともう片方の足を踏み出し、そして桃子は、呆れ顔のまま立っていた響の服をしっかりと掴んでなんとか体勢を立て直した。
「……なんでそんなに高いヒール履いてるんだ?」
「え。だって」
「慣れてないならもっと低いの履けよ。凶器か?」
 練習用のシューズの高さは二種類用意されたが、桃子が選んだのは七センチのものだ。どちらにしようか迷ったのは一瞬だった。
「だって、ヒールが高いほうが背が高く見えるじゃない」
 あと十センチ――否、あと五センチ高ければ、ここまで気にしなかったと思う。実際、こうして響と並んでみても、ヒールの分だけ目線が高くなっていて、それが妙に誇らしい。別に気にするほど低いわけではないが、こんな機会でないと履かないであろう靴をあえて選んだのだ。
「身長なんて気にするほどのことでもないと思うんだけどな」
 溜息とともに響がつぶやく。
「それで、基礎からやる気か」
 仕方ないと言わんばかりの顔で響は桃子を抱き寄せた。
「足元がぐらつくくらいならシャドーもできないんだろ。ほら、背筋伸ばせ」
 そう言って彼の指先がするりと桃子の背筋を撫で上げる。こうしろ、という指示なのは充分わかるが、奇声とともに不自然に背筋が伸びてしまった。
 響は真っ赤になった桃子を見おろして目を瞬く。それからニヤリと口元を歪めた。
「なによ!」
「……意外と感じやすいのかと思っ」
 言葉の途中、桃子は持ち上げた足を思い切り響の上に落とした。
 響の口からうめき声が漏れると同時に腕が緩み、桃子は素早くそこから抜け出す。そして響の真正面に立って、行儀悪くその顔を指さした。
「今日はここまで!!」
「ここまでって、おい、何もしてないだろ」
 怒鳴った桃子は上履きを掴み、響の声を振り切るようにして部屋から飛び出した。そもそもあんな至近距離で踊るものだとは思っていなかったのだ。クラスメイトと練習したときいやにぎくしゃくしたのは、照れが先行して基本のスタイルすらまともに取れていなかったのが原因だったのだろう。教師が一人ずつ指導して歩いていた姿を思い出して顔を引きつらせた。桃子たちの組の前で時間切れになったのも悪かった。
「社交ダンスってあんなに密着するの!?」
 あれじゃあ抱き合ってるのと大差ない。おまけにこうして歩いているだけでも足元がおぼつかずによろめいてしまうのだ。支えてくれるのが響だと思うと、貸しを作っているようで妙に腹立たしい。
 廊下の途中で上履きに履き替えた桃子は、冗談じゃない、と胸中で絶叫していた。


 その頃、取り残された響は足をさすりながらひとしきり笑っていた。
 どうやら桃子はまったく踊れないらしい。しかも、靴すら履きなれていない。ある程度ステップを覚えさせてリードに気を遣ってやればそれなりに形になるだろうが、それでもそうなるまでにはしばらく練習が必要だった。
 響は置き去りにされたラジカセを持ち上げて側面を見た。ラベルが一枚、「放送部備品」と明記してある。上機嫌で年代物のラジカセを眺めていると、ドアが開いて庇護翼たちが入ってきた。
「響、部活の資料だけど」
 言いながら紙を差し出した由紀斗はラジカセを持つ響に口を閉ざす。
「なんだ?」
「え……いや、なんか楽しそうだなと思って」
 主人が機嫌のいいときはろくなことを考えていないときだ。そう熟知している由紀斗と律はこの場にふさわしく戸惑いの表情を浮かべている。
「ちょっと面白そうな遊びを思いついたから」
 ニヤリと響は笑う。
「あれだけ露骨に逃げるなら……ペナルティは失敗したらキス一回か。いい嫌がらせになりそうだな」
 そう伝えれば、桃子はさぞ嫌な顔をするだろう。それどころか練習自体を拒絶するに違いない。しかし響の手元には桃子が残していったラジカセがある。意外に責任感の強い彼女のこと、何がなんでも取り戻しに来るだろう。
 憤怒の顔を思い浮かべると笑みが深くなった。それはそれで楽しそうだと思ったのだ。
 気味悪がる庇護翼をよそに、二人の攻防はまだしばらく続く。

=普通・了=

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