【ハウェスト好色記】

 オルターには悪友がひとり、名をハウェストという。社交的で愛想がよく話題にこと欠かない彼は、訓練校でも人気者でいつも友人に囲まれそれはそれは楽しげな毎日を過ごしていた。ただし、交友関係ばかりが派手というわけではない。
「ケイトと別れたんだって?」
「違う。ケイトと別れてタニアと付き合って、そのタニアと別れてシェラーザと付き合ってたんだけど浮気してるのがばれて、公衆の面前で大立ち回りだ。女はやっぱりつつましいのがいい」
「調子がいい奴だな。積極的な子が好みだって言ってたくせに」
「あのときはそう思ったんだよ。いまは違う」
 両手を上げてハウェストはうめく。まったく、たった一回の過ちすら許せないなんて――そう続けると、オルターは大げさに肩をすくめた。
「オレは許せないけどな、浮気なんて」
 少しだけ高い、だが昔から聞き慣れた声に、わずかばかりの非難が混じる。そういえば、ガキのころからこいつは妙に潔癖なところがあったなと苦笑して、ハウェストは向かいに座ってそっぽをむくオルターの凛とした横顔を見た。
「浮気は男の甲斐性さ。だいたい、これは相手がいなきゃ成立しない」
「浮気相手にも責任があるって?」
「そう! まさにその通りだ、オルター」
「呆れてものも言えない」
「そう言って口を開くのが人間だよ」
 おどけると、オルターの表情が険しくなる。誘ったのは自分だが誘いにのったのは相手だとか、お互い楽しんだからいいじゃないかとか、女なんて山ほどいるんだから一人にこだわらなくてもいいじゃないかとか、だいいち向こうもこっちも遊びだったんだからお互い様――などとおおよそろくでもないことを考えてはみたものの、友人殿の機嫌を損ねる結果になるのは確実なので、それ以上の言葉は避けた。本当は幾度も浮気を繰り返し、現場を押さえられた上での修羅場だったなんて、口が裂けても言えるわけがない。
 ハウェストは非難するオルターをあえて無視し、盤面のコマをひとつつまんだ。右前方、オルターの駒とすり替えさらに前進させると、オルターは小さく声をあげた。
「ずるいぞ」
「これはサルンにおけるれっきとした戦略だ」
「禁じ手だろ」
「魔術師は騎士に強く」
「だから禁じ手だって」
「ただし、ある条件下でのみ、これが崩れる」
「ハウェスト」
「昔の手法を禁じ手とするなんてどうかしてる。過去にこそ歴史が刻まれてるとは思わないか」
「歴史は目の前にだって刻まれるよ」
 鋭い笑みで返したオルターの手には王女を示す駒《サルトー》が持たれていた。
「王女は敵国の王子と通じ――」
「オルター!」
「女王を打つ」
 弾かれた女王の駒にハウェストが悲鳴をあげる。サルンと呼ばれるゲームは盤上で駒を運ぶ単純なものだが、裏の遊び方は駒を二倍用意し、それぞれが同盟国を作り上げてこれをゲーム内に反映させるのだ。棋士はすべての駒に役割を与え、状況を述べ物語を生み出しながら駒を運ぶ。政権を持つ王の駒を取ればそれでゲームがほぼ終了するが、棋士自らが王の駒を倒して別の駒に政柄を執らせることもできた。
 裏サルンには同じ局面は二度となく、また同じ物語も二つとないと断言されるほど打ち手によって変化するゲームである。
「政権は女王が持ってたんだよな、ハウェスト」
 オルターの問いにハウェストは溜め息を返した。同盟国をより有効に利用するために執った政策は、寵姫として同盟国から輿入れした娘を正妃暗殺の後に女王として君臨させのちに王を屠って政権を移すことだったのだが、それは同盟国との結びつきを強くする反面、王の実子である王子との不仲を表すシンボルともなる。ルールに則り討たれた駒を見てハウェストは肩を落とした。
「オレには裏サルンは合わないな」
「何をいまさら」
 本気で口にしたのだが、訓練生来の友人は取り合うことなく笑っていた。マニア向けと言われる裏サルンを好んで打つのはオルターとばかりだが、それはオルターの駒運びが独特で、確実に裏をかくため模索するさまがなんとも小気味よく、興をそそるからだ。他にも何人か打ち手を知っていても、盤上で対戦するならやはりオルターがいい。ある程度、手の内を知っていて対策がたてやすいというのも要因のひとつだ。
 だが、それでも毎回勝てるというわけではなく、勝率は五分五分といったところが実状である。
「どうする?」
 勝者は余裕の笑みで問いかけてゆっくりと足を組み直す。降参しろと言わんばかりの口調に見せつけるような横柄な態度――こういうところは本当にさまになっていて腹立たしい。
「はいはい、オレの負けですよ」
 ハウェストは明確な言葉を望む相手に両手をあげた。
「よろしい」
 満足げに頷いてオルターは髪をかきあげる。ハウェストは零れる光に目を細め、それから数日前に催された盛大な婚礼を思い出した。
「奥方は?」
「奥方?」
「麗しの聖妃母」
「ガーネットか」
 この上なく魅力的な少女の名を、これといった感慨もなくオルターが口にする。もっと鼻の下を伸ばしてもいいだろうに、男たちの羨望を一身に集める贅沢な友人はどこかつまらなさそうな表情さえ浮かべているのだ。
「お前、もっと嬉しそうな顔しろよ。あの聖妃母が自分だけのものなんだぞ」
「ああ。……そうなんだけど」
「何が不満なんだよ」
「……はやまったかなと思って」
「こ、後悔してるのか!? なんて贅沢な……!!」
「そうじゃなくて、彼女に悪いっていうか」
「何が悪いんだ!?」
「ひとりの女性として幸せにしてやれるかなっていう意味だよ」
 溜め息とともに返された内容にハウェストは本気で呆れた。射的隊の花形と名高いオルターと聖妃母ガーネットの婚約は、その立場上、一般人はおろか国と教団すら注目するほどの事件だったのだ。国はこれで教団との繋がりが強固となることを期待し、教団は国の権限を望んで快く受け入れた――にもかかわらず、当の本人がこれでは話にならない。
「お前、自分ひとりの問題じゃないって、ちゃんと理解してるか?」
「理解してるさ」
「いいや、理解してないな。国も教団も利害一致でこの一件を許したんだぞ。でなきゃ、聖妃母が簡単に結婚を許されるもんか。いくら洗礼を受けてない一般信者でも聖妃母は祭事の末席を埋めるほどの立場だ。神に仕える女性なんだぞ」
「わかってるよ。だからちゃんと慣例にならってるだろ」
「慣例って」
 不機嫌なオルターの横顔を見て、ハウェストは目を瞬いた。
「お前、まさか、……いや、まさかあれまで実践してるのか?」
 今度は別の意味で驚倒した。洗礼を受けて神職に就けば神以外に心を砕くことは許されず、よって結婚も禁忌とされる――それが、二大教と呼ばれ世界に広がる宗教のひとつ、マルファトネ教だ。若者は洗礼を受けずにマルファトネ教を信仰し、結婚して子を成したのち、洗礼を受けて聖職者として残りの生涯を神に捧げるのが基本である。
 そしてガーネットは聖妃母だ。洗礼を受けていないとはいえ、一般信者より聖職者に近い。結婚後も神を崇拝し、操をたてることが倣わしだ。
「そういう決まりだから仕方ない」
「仕方ないじゃないだろ!! 目の前に女がいるんだぞ! しかも妻じゃないか! 本当に指一本触れずにいるのか――!!」
「ああ。結婚後、十日間はキスもだめだそうだ。その間、聖妃母は神の所有物だから」
「お前それでも男か!?」
「他人が触れると悪魔《ヴィーヴァ》が憑くらしい」
「そんな迷信信じてんじゃねーよ!?」
「たかが十日間の我慢じゃないか」
「……オレはお前が信じられないよ」
 あんなに魅力的な少女を妻にして大人しくしているなんて健全な男がとる行動ではない。一日ならまだしも十日間も触れるのを禁じられる――それは、まるで忍耐の限界を試すかのような苦行に違いない。
 だがしかし、オルターは平然と冷めた茶をすすっている。
「く……じゃあ、寂しい新妻を慰めてやるのはオレの仕事……」
「ハウェスト」
「お、おう」
「ガーネットに何かしたら切り刻むよ」
 あはは、と軽い笑い声をあげながらオルターがささやくのを見て、ハウェストは股間を押さえてすくみ上がった。
 オルターは潔癖性というわけではないが、やたら身持ちが堅いのだ。相手にもそれを求めるのは酷な話だが、温厚に見える彼が怒れば手のつけられない男であることを嫌というほど知っていた。
「親友の奥方に妙な気を起こすはずないだろ」
 いっそ胸を貫いてくれと頼みたくなるくらいピンポイントで刻むに違いない彼を見つめ、こいつの目の黒いうちはやめておこう――そう、ハウェストは胸中でうめいた。
「賢明でよろしい」
 心を読むように冷徹な声色でささやかれ、ハウェストはひぃっと奇妙な悲鳴をあげる。これは間違いなく牽制だ、なにか間違いが起きたら絶対に刻む気だと、ハウェストは確信をもって怯えた瞳でオルターを見た。
「オレは、お前だけは敵にしたくない」
「意外と骨がなくてつまらないかもしれないよ」
 カップをテーブルに戻し、オルターは微笑した。
 平原を駆けぬけた風が二人の間を通り過ぎ、渦を巻いて消える。その向こうから、バスケットをかかえたガーネットがゆっくりとした歩調で近づいてきた。

 さまざまな運命を呑み込んで世界が変動するまで、あとわずか。

Can you believe an important person?
大切な人を信じることができますか?


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