【グラナダ公奮闘記】

 エネマール地方、アルシャワルには盟主がひとり、名をハリス・メニル=グラナダという。エネマールの華と謳われた領主の一人娘のハートを見事射止めたこの男は、平民出のためか増税を嫌い、派手な遊びをつつしみ、愛妻家としても知られており非のうちどころがない領主であった。
 ただし、いいことばかりが連なっているわけではない。
「旦那さま、昔は背が高くて精悍で、貴婦人たちの噂の的だったらしいわよ」
「肖像画は嘘よ。奥さまは名のある画家に描いていただいたらしいけど、旦那さまはそこらへんに転がってた画家だったって話」
「あれが現実なら、いまは見る影もないわね」
 掃除の手をとめ、階段の踊場に飾ってある若かりしころのグラナダ公の肖像画を眺めていたメイドたちは、申し合わせたかのようにいっせいに溜め息をついた。失礼極まりない姿だ。しかし、過分に美化されているのでグラナダ公本人すら当惑するのも事実。
 ゆえに、この件に関しては口をつぐむことを心がけていた。
「おしゃべりならもっと素敵な話題になさい」
 無言できびすを返したグラナダ公は、厳しい口調にぎょっとした。見れば、廊下にはオルターの――息子≠フ妻、ガーネットがいる。メイドたちは廊下にいるガーネットと、階段の途中でひき返そうとしているグラナダ公を見て顔をひきつらせた。
 女というものは口数が多く、噂好きで想像力がたくましいくせに、妙に現実的だ。一枚の絵画を見て三日はしゃべりつづけることができる生き物と高をくくっているグラナダ公は、ガーネットに肩をすくめてみせてから、何事もなかったかのように階段をおりて広い廊下をゆったりと歩き出した。
「あまり感心できません」
 グラナダ公のあとからガーネットはひかえめについてきてそんな言葉を発した。
「なにがだね」
「厳重注意すべきです。規律が乱れますわ」
 その一言でグラナダ公は年若い娘が聖妃母であることを思い出す。聖妃母はマルファトネ教で洗礼を受けていない者が得ることのできる最高の地位で、家柄、信仰心、修行態度を相対的に見て、厳粛な会議の上で五年毎に議決される大役だ。以降は次期聖妃母が決まるまで催事の際には一般信者の代表として末席を埋める任がある。
 そんな娘が、なぜ華々しい経歴をひっさげてこんな片田舎に嫁いできたのか――しかも、大罪を冒してまでやって来たのか、グラナダ公にはどうにも腑に落ちない。オルターの話ではすべて了承ずみだというが、果たしてこれがどれほど重大なことであるか本当に理解しているかも疑問である。
 グラナダ公は溜め息をついた。
 気の迷いですまされるものではない。しかし、すでに婚礼も終わり必要書類が提出ずみともなれば、いまさら間違えましたと取り下げては世間体が悪い上にガーネットの実家から非難の声があがるのも必至、それで教団本部が動けば泥沼になりかねなかった。家名に泥を塗りかねない状況に打つ手はなにもない。こうなれば、これが公にならぬよう、ガーネットが短慮をおこさぬように気を配るほかない。
 せめてあのとき、オルターが出した手紙を見てさえいれば――グラナダ公は、激務に追われた過去の自分をただ呪った。
 彼は何度目かの溜め息をつき、首をひねって肩越しにガーネットを見た。見事なプラチナブロンドに鮮やかな青い瞳、透き通るような白さを持つ肌、そして小柄で幼い容姿に不釣り合いなほど立派な成長をとげた胸元――ある意味、息子が羨ましくさえ思う幼な妻だ。世間体を気にして、金を握らせ婚姻を結ばせたのでは、とてもこんな家柄のこんな経歴を持つ、こんな容姿の娘を連れてくることなどできなかっただろう。その点では「でかした、息子よ!」と声高に褒めちぎりたい。
 しかし、ことはそう単純なものではない。
「お義母さまのご容体はよろしいんですの?」
 問いに、グラナダ公ははっとした。視線はいつの間にかガーネットではなく、彼女を通り越したさきにある妻フロイラの部屋の窓へとそそがれていた。
「ああ、最近はずいぶん調子がいいようだ。本当は結婚式にも出たがっていたんだが」
「無理をされてはお体に障ります」
「そうだな」
「今度、体調のいい日を選んでオルターといっしょにお伺いいたします」
「ああ、そうしてやってくれ。……くれぐれも……その、なんだな……」
「はい、心得てございます」
 にっこり微笑まれ、グラナダ公はそれ以上何も言えなかった。
「先ほどは、出過ぎたことをして申し訳ありませんでした」
 大きく広がったスカートを軽くつまんでしゃなりと膝を折る。経歴もお家柄も、容姿も作法も完璧な娘――しかも、割合に聡い。まったく、一体全体なにを勘違いしてこんなことになったんだと、グラナダ公は憂い顔でガーネットを見つめた。
「いや、規律は大切だ。一理あるだろうな。それより――その、あれだ、オルターのことは」
「内密に?」
「……それもあるが、なぜ結婚する気になったのだ? マルファトネでは、……つまり」
「同性愛は死罪」
「ああ」
 その通りとグラナダ公は頷いた。
 跡取りを強く望んだ体の弱いフロイラを想い、オルターは生まれた直後から男として育てられた。もともとの気質もあったのだろうが、裁縫より狩りが、作法より鍛錬が好きなオルターはこれに不満も疑問も抱かずに言われたことをこなしてゆき、やがてフロイラの希望どおりの少年になり、多少頼りないところもあるが、気づけばどこに出しても恥ずかしくない立派な青年となった。
 そんな息子≠セから見合いの話はひっきりなしだったのだが、教団はおろか国さえ欺いているため、一生独身を貫くか、金を握らせた娘と結婚するかの二者択一しかないと思っていた。しかし意外な伏兵が潜んでいた。
 周りからお似合いだ、素敵な夫婦だとうらやまれてはいるが、グラナダ公はこの状況にいまだに困惑している。
「ひとつ訊いてもいいかね」
「なんなりと」
 無邪気に微笑まれて言葉につまり、グラナダ公は大きく咳払いしてあらためてガーネットを見た。
「息子のどこが気に入ったのかね」
 ことさら息子という単語に力を込めて疑問すると、ガーネットは瞬時に笑みの種類を変えた。それは平穏な片田舎の屋敷には似合わない、目を見張るほど艶やかで小悪魔的な笑顔である。彼女はそれをまっすぐグラナダ公へ向けて小首を傾げた。
「そうですわね。意外に腹黒なところ、かしら」
 そして、唖然とするグラナダ公に軽く挨拶をしてガーネットが離れていった。彼女が向かった先にはオルターがいて、二三言葉を交わしてから連れ立って歩き出した。
 二人の後ろ姿をしばらく眺めていたグラナダ公はじっとりと汗をかいていた手を見て苦い顔をする。
「参った……聖妃母が悪魔ヴィーヴァに見えるぞ?」
 実は彼女が「悪魔より恐ろしい娘」であることを知るのはもう少し先の話になる。

The truth is in the darkness.
※ 真実は闇の中 ※



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