あの無駄に黒い少年はササラじゃないか? 考え込んでいるようで、ずっと地面を見つめながら歩いている。
「ササラ? どうかしたの?」
あまりに深刻そうな表情だったので訊ねてみると、ササラは顔を上げてさらに奇妙な顔になった。
「別に……なんでもないけど」
「なんでもないって雰囲気じゃないよ」
「……ひどい顔してる?」
「うん。嫌いな食べ物ばっかり食卓に並んじゃった子どもみたいな顔」
そう言うと、ササラはちょっとだけ笑って空をあおいだ。
「行方不明者の捜索依頼が来てるんだ」
なるほど、仕事のことで悩んでるのか。ササラは警察と協力していることが多いが、もともとは探偵が生業だ。こうして人捜しの依頼も当然ながら入ってくるのだろう。
「ちょっと人数が多くて」
彼が不審な一言を口にするとほぼ同時、ミヤツ刑事が大股で近づいてきた。
……ん? ぼさぼさの髪に仏頂面、よれよれのカッターシャツにくたびれたネクタイ、ねずみ色のコートを肩に引っかけた無精ヒゲの冴えないオヤジ?
よくよく考えてみればミヤツ刑事の容姿はクリストルが教えてくれた だいおうさま そのものだ。ってことは、彼が だいおうさま か!
……この聖水、役に立つのかなあ。なんか屋台で売ってそうな雰囲気がするんだけど。
ポケットにしまってあった聖水を取り出して首をひねる。急に容器が古くさいのも気になりだした。
まあいいや。
きゅきゅっと蓋を開けていると、やってきたミヤツ刑事が手元を覗き込んできた。
「なんだ?」
「え?」
「それは何が入ってるんだ?」
ミヤツ刑事の質問に、思わず顔が引きつる。聖水です、としどろもどろに答えると、ああ、と呆れた声が返ってきた。
「あの悪徳商法か」
「悪徳!?」
「塩水をつめて聖水だって言って売ってるやつがいると噂でな。売人の職業は詐欺師だそうだ」
「んな職業あるかー!!」
突っ込んだ後、いやこの世界ならあるのかと思い直して項垂れた。じゃあなんだ、クリストルは騙されたクチか。まあだいたい、おかしくはあったんだよなあ。 だいおうさま が聖水に弱いなんて、吸血鬼や悪霊じゃあるまいし、ちょっと考えられないのは確かだった。
「お姫様、捜しに来たのになー」
ぼそりと言うと、
「ああ、ツアーの?」
と、先刻の暗い表情を消し去ってササラが口を開いた。……ん? ツアー?
「ツアー?」
ミヤツ刑事もササラの言葉にきょとんとしている。ササラは苦笑して頷いた。
「ほら、観光の目玉にイベントを企画するとか言ってたじゃないですか。それですよ。お姫様を捜してオリジナルグッズを手に入れよう――って、宣伝、聞いたことありません?」
「あれか。そうか、お前わざわざイベントに参加しにきたのか。ご苦労さん」
「え? ああ、ありがとうゴザイマス??」
ササラの言葉にミヤツ刑事は納得して頷き、ポンと肩を叩かれ……ええええ!? だいおうさま いないの!? せっかく来たのに戦わないの!? お姫様は――!!
「まあそう落ち込むな。いまどきなかなか見ない純粋な子だな」
恥ずかしいやら情けないやらでがっくりと肩を落とすと、ミヤツ刑事が快活に笑った。なぐさめられるとよけいに惨めになるなあ。じゃあお姫様ってどこにいるんだろう。
「あの!」
イベントを知っているということは、ゴールも知っているということじゃないのか。ちょっとずるいがゴールを訊いてしまおう。勢い込んで身を乗り出すと、小瓶の中の「聖水」が大きく波打ってその一滴が飛び出し、ミヤツ刑事の手の甲に落ちた。
じゅわっと音がして、煙があがる。
「え?」
目を見張ると、彼は慌てて手の甲を隠して不自然に笑んだ。
「いま、煙が?」
「何か見えたか? 気のせいだろう」
……怪しい。なんか怪しい。
「それより、その偽の聖水、被害者届けを出しておくからこちらに」
にこやかに手を差し出してきているが、口角が微妙に引きつっていて、おまけに肩に変な力が加わっているのか不自然にあがっていた。
怪しすぎる。
渡すふりをして一歩近づき、小瓶ごと聖水を投げつけた。小瓶はミヤツ刑事の体に当たるなり粉々に砕け散り、飛び散った聖水がかかると白煙が上がった。すさまじい叫び声にぎょっとして後退ると、ササラもさすがに驚いたのか声をかけることすら忘れて七転八倒するミヤツ刑事を凝視していた。
くたびれた鈍色のコートを着た冴えないオッサンは、真っ黒で毛むくじゃらの「何か」に変化した後、ぐすぐすと溶けて消えてしまった。
「本当に変なモノがいたらしいぜ」
後日、黒猫がやってきて、深紅の目を細めてそんな話をしてくれた。
「ここはリュードレイ、何が起こっても不思議じゃない町だから」
本物のミヤツ刑事は風邪をひいて寝込んでいたらしい。じゃああれはなんだったのかと訊かれると、本当になんと答えていいのかわからないが、まあ、普通の人間じゃなかったってことだけは確かなんだろう。イベントが開催され偽聖水も売られていたが、それとはまったく別の場所で別の事件が起きていたのだ。
ちなみに、お姫様は無事に救出された。
「クリストルー!!」
遠くから聞こえてくるクリスの声に、黒猫はぴくりと長いヒゲを動かして肩をすくめた。そして仕方なさそうに歩き出す。
「じゃーな、勇者様」
軽い調子でそう言って、クリストルは町中に張り巡らされた通路のひとつを進んでいった。別に勇者様と言われるほどの功績はないんだけどなあ。ただ、警察署の一室に少女たちが眠らされたまま監禁され、その中にはクリスもいて、おかしなことに「誰ひとり」何も覚えていなかったという奇妙な事実だけが残された。
警察と少女たちの中には、事件の顛末を知る者はいないのだ。
「勇者様じゃないよなあ」
ササラとクリストルしか知らないなんて、そんな小規模な勇者様ってどうなんだ。
でも、まあ。
「二人が覚えてくれるなら、それはそれでいいかな」
ひとまず「お姫様」は無事に助けたんだから、めでたしめでたし。
さあ我が家に帰りますか。
=『時計塔の怪盗』を補完しました=